登録区分 | 複合遺産 |
登録基準 | (1), (3), (5), (7) |
登録年 | 1985年 |
デリンクユの地下都市は「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡」の構成資産の一つ。地下16階まで存在するという巨大な地下都市は、カッパドキアでも最大規模です。ところで、デリンクユの地下都市はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではデリンクユの地下都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、デリンクユの地下都市について詳しくなること間違いなし!
デリンクユの地下都市とは?

デリンクユはカッパドキアの中心地でもあるギョレメから南へ約35kmに位置する街。デリンクユとは「深い井戸」という意味であり、地下都市が発見したのは1963年と、割と最近でもあります。ここは専門家によって見解は異なるものの、なんと地下16階まで空間が造られているというほど。
建造が始まった時期は不明ですが、紀元前15世紀〜紀元前12世紀にヒッタイト人によって築かれたというほどに古いという説もあります。現在の遺構には、キリスト教徒のための洗礼堂やワイナリーなどの施設だけでなく、武器庫や避難所、貯水湖などもあるのが特徴。一方、通気孔の上に見張り台もあり、もともと地下で暮らすために想定していたとも考えられています。
デリンクユの地下都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



デリンクユの地下都市が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ビザンツ帝国によるイコン破壊運動によって、当時のビザンツ美術品は現代ではほとんど見られませんが、カッパドキアの教会群は見事に生き残り、その独特の壁画を今に残しているという点。
登録基準(iii)
洞窟住居や洞窟教会、洞窟修道院など、4〜11世紀まで人々が隠れ住んだ、ビザンツ帝国時代の辺境の暮らしが今でも見られるということ。
登録基準(v)
カッパドキアの洞窟住居は、人々が自然を利用して伝統的な暮らしを続けた場所であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
デリンクユの地下都市は、建設時期は不明ですが、イスラム教徒から逃れてきた人々が開発しながら隠れ住み、当時の暮らしが今でもよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、デリンクユはカッパドキアでも最大規模の地下都市ではありますが、さらに県庁所在地のネヴシェヒルには、深さが推定で最大113mもの地下都市が存在しているということが2014年に分かり、2020年から地下都市が公開されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。