登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
萩城下町は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。毛利氏の居城であった萩城を中心とした城下町は保存状態も良好。ところで、萩城下町はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは萩城下町がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、萩城下町について詳しくなること間違いなし!
萩城下町とは?
山口県北部にある日本海に面した城下町。1604年に関ヶ原の戦いに破れた毛利輝元(1553〜1625年)は、安芸広島を中心に広大な領地を有していたものの、この地へと減封されてしまいます。その後、萩城を中心にこの地は毛利氏による長州藩の本拠地となり、幕末から明治維新まで日本の近代化に貢献した人物を多く輩出しました。1894年に毛利氏の居城が現在の山口市へと移転すると、町並みはそのまま残され、保存状態も良好。
萩城
城下町の西端に位置する指月山(しづきやま)に築かれた梯郭式平山城。1604年に築城されると、江戸時代を通して毛利氏の居城でしたが、1874年に天守・櫓など、ほとんどの建造物が破壊され、石垣や堀のみが現存しています。
ここは三角州に築城され、三方を海に囲まれているというのが特徴。南には本丸・二の丸・三の丸を持つ平城が存在し、北には指月山の頂上に詰丸と呼ばれる山城があり、石垣と土塀で囲まれた城郭があったとされています。現在は二の丸土塀や三の丸総門などが復元。
堀内地区
萩城の近くにあり、萩城の三の丸に相当する地区で、重臣の屋敷や藩の役所などが並んでいました。それぞれ保存状態が良く、重要伝統的建造物群保存地区にも登録。
萩城下町
萩城三の丸にある総門から、東西に延びるメインストリートであった呉服町の通り(御成道)と、その南を並行する慶安橋筋を中心とした地区。各地に武家屋敷や商家などが点在しています。
萩城下町はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
萩城下町が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
萩城下町の建築物は歴史的価値もあるのですが、一方、長州藩主の毛利氏が暮らす地であり、ここには幕末から明治時代において日本の近代化に貢献した人物を多く輩出した地として評価されています。
ちなみに、萩の名産品として夏みかんが有名ですが、これは明治維新後、没落していった士族の収入として、自宅の敷地や武家屋敷跡地に夏みかんを植えたというのがきっかけ。結果的に土壁の上に夏みかんの木が並ぶという景観が萩らしく、観光客を呼び込んでいるので、大正解でしたね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。