登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (6) |
登録年 | 2013年 |
北口本宮冨士浅間神社は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つ。江戸時代になると、吉田口の登山道が繁栄したこともあり、御師(富士講を行う信者たちのための宿泊所や食事の用意、登山道の案内などを行う人々)たちによって豪華な建築物が建造されるようになりました。ところで、北口本宮冨士浅間神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは北口本宮冨士浅間神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、北口本宮冨士浅間神社について詳しくなること間違いなし!
北口本宮冨士浅間神社とは?
富士吉田市にあり、吉田口登山道の起点でもある神社。ここは日本武尊(やまとたける)によって大鳥居を建てたという伝承があり、8世紀には神殿が存在したとされます。
江戸時代になると、富士山の登山道が東側の須走口から北部の吉田口が中心になってきたということもあり、ここは登山口の入口として多くの人々が集まるようになりました。
現在の本殿は1615年に建立されたもので、その後も18世紀に富士講の指導者であった村上光清によって、幣殿や拝殿などが建造され、やがて周囲には御師の宿坊が並ぶようになり、巡礼者が多く集まりました。豪華絢爛な本殿は、一間社入母屋造りとなっていて、檜皮葺屋根を持つとたうのが特徴。
北口本宮冨士浅間神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
北口本宮冨士浅間神社が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
成層火山として雄大な富士山は、断続的な火山活動があったことから、古代から現代にいたるまで伝統的な山岳信仰が残っています。巡礼者は、山頂への登拝や麓の神社への巡礼を通じて、神仏の力を得ることを望むという富士講は富士山への深い崇拝に結びつくもの。富士山の均整のとれた美しい姿は、無数の芸術作品にもインスピレーションを与え、自然と共生しながら独自の伝統へと結びついていました。関連する文化遺産には、富士山の崇拝を中心とした伝統文化が残されているという点。
登録基準(vi)
富士山の景観は湖や海の上にそび立つように火山が位置するというイメージで、これは古くから文学や芸術などのインスピレーションを与えてきました。特に19世紀の葛飾北斎や歌川広重の浮世絵に描かれた富士山の姿は、その後、西洋美術の発展に大きな影響を与え、現在も世界中で知られる名山であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
北口本宮冨士浅間神社は、江戸時代になると登山道の入口となり、このルートは人気が高まったことから建造物も豪華になっていき、これは富士講が大いに流行したことを示すという点で評価されています。
ちなみに、現代の富士登山というと、富士山有料道路(富士スバルライン)を使用して、5合目まで行き、そこから吉田ルートを通って山頂を目指すというのが一般的ですね。現在も北口本宮冨士浅間神社から「山梨県道701号富士上吉田線」と名前を変えて、吉田口登山道は存在していますが、1964年に富士スバルラインが開通してからは1合目から5合目までを利用する人は激減してしまったのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。