登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (1), (2), (3), (4), (6) |
申請年(暫定リストに記載 | 2015年 |
リンダーホーフ城は「バイエルン王ルートヴィヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ、シャッヘン及びヘレンキームゼー~夢から現実へ」の構成資産の一つ。ここはルートヴィヒが実際に暮らした宮殿であり、細部まで彼のこだわりが見られるもの。ところで、リンダーホーフ城はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?
ここではリンダーホーフ城がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リンダーホーフ城について詳しくなること間違なし!
リンダーホーフ城とは?
バイエルン王国(1806〜1918年)の第4代ルートヴィヒ2世は「狂王」として知られ、幼いころからの夢であった騎士道伝説を具体化したようなメルヘンな城や宮殿をバイエルン各地で建造するようになりました。リンダホーフ城は、バイエルン州でも南西にあるオーバーアマガウ村近くにある城。ここは1874年に建築が開始され、1878年に完成したため、彼が築いた城でも多くの期間を過ごしました。
ここは城とは呼ばれるものの、フランスのヴェルサイユ宮殿のグラン・トリアノン(大トリアノン宮殿)をモチーフにしているため「宮殿」とされることも。ヴェルサイユ宮殿のバロック様式を取り入れ、ロココ様式をベースに設計されています。館内には応接室として利用した鏡の回廊、謁見室、ダイニングルーム、寝室、歴史主義の庭園など、ヨーロッパ各地の建築物の要素が取り入れられたもの。
リンダーホーフ城はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
リンダーホーフ城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
登録基準(ii)
登録基準(iii)
登録基準(iv)
登録基準(vi)
この地に残るノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホーフ城、シャッヘンの王の家、ヘレンキームゼー城は、ルートヴィヒ2世の理想を描いた建造物であり、19世紀にこの地で発展したユニークな文化を示すものであるということ。一方、これらの建造物の建築様式は19世紀の時点で、既に過去の時代だったものをあえて再現した「芸術」であり、王の理想郷として建造したことで、中世から19世紀後半までのヨーロッパの建築技術が詰まった作品であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
リンダーホーフ城は、彼が保有した建造物の中でも長年暮らした「住居」であり、ヴェルサイユ宮殿などの要素を取り入れた、彼の作品でもあり、ヨーロッパ各地の建築様式が組み合わさっているという点で評価されています。
ちなみに、ルートヴィヒ2世は昼夜逆転生活を送っていたため、鏡の回廊は常に明かりが灯っていたらしく、ダイニングルームは一人で食事ができるようにエレベーターのような構造になっていました。さらにテーブルはなぜか常に4人分にセットされていて、これはルイ15世、ポンパドゥール夫人、マリー・アントワネットなどの架空の人物と食事をするためとされ、このあたりが「狂王」を呼ばれる生活様式だった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。