登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
高野山(金剛峯寺)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。ここは空海(774〜835年)が開いた真言宗の総本山であり、古くから霊場として栄え、歴史的有名人の墓もあることでも有名。ところで、高野山はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは高野山がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、高野山について詳しくなること間違いなし!
空海によって開かれた高野山(金剛峯寺)とは?何がすごいの?
一般的に「高野山」とはどのエリアを指す?
実は「高野山」という名称の山はなく、和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」。よって、今も昔も「高野山」と呼ばれる地域は、一般的には金剛峯寺の境内とされています。
高野山は標高800mの盆地に100箇所以上の寺院があるという宗教都市でもあり、八葉の蓮華の花弁のように山に囲まれているために「八葉の峰(はちようのほう)」と呼ばれます。
高野山は空海が開いた?その歴史は?
この地は弘法大師・空海が816年に高野山を嵯峨天皇(786〜810年)から賜ると、結界を張って伽藍を建立。835年に入定(永遠の瞑想に入るという信仰)すると、彼の弟子たちによって伽藍は整備されていきました。932年に天皇から空海が諡号(しごう)として「弘法大師」が贈られると、入定信仰が生まれ、各地で信仰されるようになります。
その後、鎌倉時代から江戸時代まで、時の権力者とも良好な関係を築きつつ、真言密教の霊場として、その地位は保たれていきました。戦国時代は戦乱に巻き込まれてしまうものの、徳川幕府も高野山の寺領を安堵。一方、各地に真言宗を広めていた高野聖(こうやひじり)は活動を制限され、弘法大使を信仰する寺も多く建造され、ここは本拠地として活躍。高野山一帯が金剛峯寺の敷地であり、寺号でもありましたが、明治になると「金剛峯寺」は総本山寺院のみを示すものに変更されてしまいます。
高野山は4つの地区で構成される
高野山は大きく分けると、壇上伽藍(伽藍地区)、総本山金剛峯寺(本坊)、奥之院(墓域)、高野十谷(子院・塔頭地区)の4つで構成されています。西端には高野山の正門にあたる大門があり、周辺には「子院(塔頭)」が点在。
壇上伽藍(伽藍地区)
金剛峯寺の総本堂にあたる金堂がある地区。空海が初めて着手した場所で、ここは中門、講堂(金堂)、僧坊、多宝塔など、密教理論に基づいた伽藍配置となっていて、これは全国の真言寺院のモデルとなりました。その中でも修行の中心地である根本大塔は、高野山のシンボル的存在。塔内は、大日如来像の周りに四仏(しぶつ)、さらに16本の柱に十六菩薩などで囲まれた曼荼羅(まんだら)のように配置され、構成されているのが特徴。
大門(重要文化財)
敷地内でも西側に建造され、これは西方極楽浄土の方角に建てられた、五間三戸の二階二層門。高さは25.1mで、現在のものは1705年に再建されたもの。左右の金剛力士像は江戸時代中期の作品で、東大寺の南大門の金剛力士像につぐ日本で二番目に大きい像とされれます。
少し怖い?空海が入定したとされる「奥之院」の秘密は?
高野山の敷地においては最も東側に位置していて、奥の院の入口でもある「一の橋」から「中の橋」を通り、「御廟橋」まで、約2kmにわたる参道と墓域。ここはこの世とあの世の境目と考えられていて、3つの橋を渡ると空海が入定したとされる「弘法大師御廟」があり、現在でも聖地となっています。
墓域は弘法大師が眠るこの地で墓碑を築きたいという人々のために用意され、その数は大名から名前のない人々を含めて10〜20万と膨大。それもあり、ここには歴史的有名が分霊された墓碑などが多く並ぶことから、他にはない霊的な雰囲気が醸し出され、中には「怖い」と感じる人もいるそう。
徳川家霊台
徳川家霊台は高野山の北西に位置する五之室谷(ごのむろだに)にある重要文化財に登録されている建造物。これらは徳川家の菩提寺・宿坊でもあった大徳院の境内にあったものですが、明治以降は廃寺になったために現在は金剛峯寺が管理しています。正面右が初代将軍・家康の霊屋(たまや)で左が二代将軍・秀忠の霊屋。『紀伊続風土記』によると「1643年に落成」という記述があり、三代将軍の家光の時代に建造されたもの。
高野山(金剛峯寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
高野山(金剛峯寺)が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
高野山は真言宗の総本山だけあって、山に囲まれた盆地に多くの仏教建築が多く残り、真言宗の寺院の建築モデルとなったという点で評価されています。ここは大陸から伝わった仏教が独自に解釈され、それが霊場として現在まで維持されてきたというのがポイント。
ちなみに、高野山は伝説的なエピソードを多く持つ空海に関連した不思議な出来事が多く残り、ハブがいないとか、肉食が好きな人が山に入ると雨が降るとか、さまざまな言い伝えがあります。最も有名なのは、奥の院にある「姿見の井戸」で、井戸を覗き込んで自分の姿が写らないと三年以内に死亡するとか…実際に調査したことはないので、本当かどうかはわかりませんが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。