京都府の世界遺産「二条城」とは?二の丸御殿を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

二条城は「古都京都の文化財」の構成遺産の一つ。現在の建造物は徳川家時代のもので、豪華絢爛な二の丸御殿や天皇の離宮として利用された本丸御殿などが残されています。ところで、二条城はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは二条城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、二条城について詳しくなること間違なし!

目次

二条城とは?

二条城
画像素材:shutterstock

二条城は、中京区にある江戸時代に築かれた平城で、正式名称は「元離宮二条城」。ここは室町時代に足利将軍や織田信長によって邸宅が置かれていましたが、現存するのは徳川家康によって1601年に築城されたもの。3代将軍の家光まで京都の守護と上洛時の宿所を目的としていたものの、江戸時代中期には利用されることがなく、幕末になって再度修復されるようになりました。1867年に15代将軍の慶喜によって大政奉還が行われた場所として有名。

二の丸御殿

国宝・二の丸御殿は、狩野派によって描かれた障壁画もあり、豪華絢爛。二の丸御殿は、遠侍、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院(小広間)、白書院など6つの建造物で構成されています。二の丸庭園は、桃山様式の池泉回遊式庭園で、池の中央には蓬莱島があり、その近くの亀島と鶴島は「鶴亀」を表現しているというのが特徴。

二条城
画像素材:写真AC

本丸御殿

敷地の西側にある本丸御殿は、大政奉還の後、1893〜1894年にかけて京都御所の北側にあった旧桂宮廷を移築したもの。その後は、天皇家の別荘である離宮として1939年まで利用されていました。2017年以降は修理工事により、一般公開されていません。

二条城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

二条城
画像素材:shutterstock

二条城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

現在の二条城は、江戸時代に築城されたもので、狩野派の美しい障壁画が残る二の丸御殿や桃山様式の池泉回遊式庭園など、傑作が多く残っているという点で評価されています。

ちなみに、第二次世界大戦後にGHQが日本を占領すると、二の丸の北側にテニスコートが作りました。1965年には庭園に変えてくれたのですが‥言われてみれば、京都の市内にテニスコートを置く場所がなかなか見つからなかったのかもしれませんね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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