登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(4),(6) |
登録年 | 1999年 |
日光東照宮は「日光の社寺」の構成遺産の一つ。ここは徳川家康の霊廟であり、家康を神格化した「東照大権現」として祀っている場所。ところで、日光東照宮はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは日光東照宮がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、日光東照宮について詳しくなること間違なし!
日光東照宮とは?家康の霊廟?

日光市にある日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社です。ここは8世紀から霊場として存在してましたが、1617年に二代将軍の秀忠の指示によって東照社を建設。そして、三代将軍の家光によって、1634年に「寛永の大造替」と呼ばれる大改修が行われ、現在見られる壮麗な社殿に改築されました。
ここは本殿と拝殿の間を石の間で結ぶ「権現造り」の完成形とされ、境内には本殿や陽明門、回廊などを含めて8つの国宝、重要文化財も34棟もあり、日光を代表する建造物です。
陽明門

日光東照宮の中でも最も重要な御本社の手前に築かれた壮麗な門。屋根は入母屋造(いりもやづくり)で、上部は切妻造、下部は寄棟造という構造になっています。ここは24万あまりの金箔が使用されたというほどで、間口は約7m、奥行約4m、高さ約11mの門は、1日見ていて飽きないことから「日暮(ひぐらし)の門」と呼ばれるほど。
陽明門とは、平安京に存在した大内裏の門の一つから由来しています。豪華絢爛な装飾は中国の故事や聖人、霊獣、霊長などをモチーフに509もの装飾彫刻が廃されているのが特徴で、これは徳川家康を神とする社殿において、大きな役割を持つもの。特に正面中央の周公旦(中国の周の時代の政治家)は理想の為政者として、家康をイメージしたとも考えられています。
五重塔

東照宮の入口でもある石鳥居の隣にある五重塔。ここは1650年に小浜藩(福井県の西部)の藩主・酒井忠勝によって奉納された五重塔。しかし、当時のものは火災に遭ったために現在の塔は1818年に再び小浜藩によって再建されたもの。
神厩舎・三猿

境内にある「神厩舎」は、ご新場をつないでおく厩(うまや)のこと。長押(なげし、柱を水平方向につなぐという技術)の上には猿をテーマにした彫刻が8面置かれていて、その中でも有名なのは「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻。猿は古くから馬を守る存在とされていたため、猿の彫刻が築かれたとか。
眠り猫

陽明門の隣に延びている東廻廊の先にあり、御本社から奥社まで続く道の途中にある装飾作品。ここには眠り猫と呼ばれる木彫刻があり、江戸時代初期に活躍した彫刻職人である左甚五郎(ひだりじんごろう)による作品。牡丹の花の下で眠っている猫というモチーフは、長寿のシンボルであり、眠ってしまうほどに平和であるということで「平和」を表すとされています。
奥社(徳川家康墓)

1616年に家康が駿府城で死去すると、家康の遺言通りに1617年に霊柩を日光へと移動し、御祭神として奥社(当時は奥の院)に納められたとされています。1622年になると、家康の霊柩があった場所の上に木造の宝塔が完成したものの、1683年の倒壊後は現在のような唐銅製で再建。手前にある拝殿は歴代徳川将軍のための施設でもありました。
日光東照宮はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

日光東照宮が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
森の中に調和がとれるように配された日光の社寺は、建築と芸術の面での人類の創造的資質を示す傑作であるという点。
登録基準(iv)
東照宮と輪王寺の権現造りは、江戸時代において最高の建築技術であり、日本の霊廟建築において多大な影響を与えたということ。
登録基準(vi)
山や森に囲まれた日光の社寺は、人間と自然が一帯であるという神道も関連していて、日本の宗教空間の顕著な例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
日光東照宮は、古くから霊場であった日光に築かれた家康を神として崇めるための神社であり、ここは江戸時代における建築と芸術において最高峰に値する傑作が並ぶという点で評価されています。
ちなみに、東照宮の敷地内で最大規模の建物である薬師堂には、龍が描かれた鏡天井に拍子木(ひょうしぎ)を鳴らすと音が反響するという「鳴き龍」があることで有名。しかし、薬師堂は1961年に焼失したために、現在は復元されたもの。実は薬師堂の所属は東照宮なのか輪王寺なのかは今でも微妙なところ。それくらい江戸時代において仏教と神道の線引きは曖昧だったのです…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。