京都府の世界遺産「仁和寺」とは?仁和寺御殿を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

仁和寺は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。ここは出家後の天皇が隠居したことから、明治まで皇族が住職を務めた由緒正しい寺院。ところで、仁和寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは仁和寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、仁和寺について詳しくなること間違いなし!

目次

仁和寺とは?

金堂/仁和寺

右京区にある真言宗御室派の総本山。創建は886年ではありますが、宇多天皇(867〜931年)によって888年に完成した寺院。出家した宇多天皇は法皇として、敷地内に僧坊を築いて暮らしていました。そのため、ここは皇室とのゆかりが深い門跡寺院となり、明治時代まで皇族が門跡(もんぜき、皇族・公家が住職を務めること)を継いでいたというほど。

金堂はかつて京都御所にあった内裏の正殿・紫宸殿(ししんでん)を17世紀に移築したもので、現存する最古の紫宸殿として有名。本尊である阿弥陀如来は創建当時から存在していたとされ、応仁の乱(1406〜1407年)の時も被害に遭わずに残されています。

仁和寺御殿

仁和寺御殿/仁和寺

宇多天皇の御所があったとされる場所に建造されたことから、「旧御室御所」とも呼ばれます。中心となる宸殿(しんでん)は1887年に焼失してしまったため、現在の建造物は1914年に再建され、襖絵や壁は日本画家の原在泉(1849〜1916)によって描かれたもの。北庭は池泉式の庭園で、1644年に再建された五重塔を一望できる美しい庭園です。

仁和寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

仁和寺御殿/仁和寺

仁和寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

仁和寺は、天皇が開基しただけあって、金堂は京都御所にあった正殿を利用したりと、皇族にゆかりが深く、庭園様式も含めて評価されています。

ちなみに、経済の桜は200本ほど植えられていて、これらは「御室桜(おむろざくら)」と呼ばれています。江戸時代には既に桜の名所となっていて、樹高が低いため、「花(鼻)が低い」ということから、京都では背と鼻が低い女性は「御室桜」に例えられることがあるとか。…失礼な話ですが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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