登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。合計で約80kmの古道は、紀伊山地の参詣道の中でも最も厳しい修行とされるルート。ところで、大峯奥駈道はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは大峯奥駈道がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大峯奥駈道について詳しくなること間違いなし!
大峯奥駈道とは?
吉野〜熊野を結ぶ大峯奥駈道は、修験道の修行場として利用されていた道で、標高1000〜1900mの険しい山々を進む合計で約80kmの古道です。この道は75もの「靡(なびき)」と呼ばれる修行場を辿るというのが特徴。ここは修験道の総本山である金峯山寺から熊野三山を結んでいて、最も厳しいルートでもあります。
奥駈は修験道でも最も重視される修行であり、参詣の途中は食事や行動を制限し、心身を清潔に保つことを目的としていて、外界から神域へと向かうということが修行の一環でもありました。
大峯奥駈道はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
大峯奥駈道が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
大峰奥駈道は、1000年以上にも渡る日本独自の宗教の発展を示すもので、神の宿る地として信仰が維持されているという点で評価されています。
ちなみに、古道の途中にある玉置山にある玉置神社は、修験者のための宿があった場所で、伝説では源平合戦の時代に、平家が安徳天皇とともに三種の神器を持ってこの地で隠れ住んだという話もあり、その子孫が「玉置氏」と名乗ったとか。とはいえ、現在の本社本殿は18世紀に再建されたというもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。