登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (3),(4) |
登録年 | 2019年 |
収塚古墳(おさめづかこふん)は「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」の構成資産の一つ。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の近くにある陪塚で、分類としては帆立貝形古墳ですが、現座は墳丘部分しか残っていません。ところで、収塚古墳はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは収塚古墳がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、収塚古墳について詳しくなること間違なし!
収塚古墳とは?
日本で最も大きな古墳、大仙陵古墳の南東に位置する方墳。墳丘長は61m、高さは4.2mであり、墳丘からは円筒埴輪や形象埴輪の一部が発見されていて、築造時期は5世紀中期と推測されています。ここは大仙陵古墳の陪冢(ばいちょう、大きな古墳に付属する古墳)と考えられているもの。
現在は墳丘部分しか残っていませんが、1989年の調査によって前方部分が発見され、実は帆立貝形古墳ということが明らかになりました。発掘された前部分と周濠の一部はカラー舗装されていて、全体の大きさがわかるようになっています。
収塚古墳はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
収塚古墳が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
百舌鳥・古市古墳群は、日本全国にある16万もの古墳の中でも、古墳時代を代表するもので、この時代の社会構造や階級、高度な葬送文化を示すものであるという点。
登録基準(iv)
百舌鳥・古市古墳群は、古代の東アジアにおいても優れた陵墓で、埴輪や葺石(ふきいし)で覆われた墳丘は階層社会の確立を示しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
収塚古墳は後円部分しか残っていませんが、調査によりかつての姿が明らかになっていて、古墳が築かれた時代の日本の社会や葬送の文化がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、かつて古墳の頂上から鉄製の鎧の一部が発掘されたという伝承があり、実際に調査すると中世の遺構も残っていて、施設として再利用されたのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。