登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1982年 |
ピッティ宮殿は「フィレンツェ歴史地区」の構成資産の一つ。かつてはトスカーナ大公が暮らすルネサンス様式の宮殿であり、現在は美術館といて利用されています。ところで、ピッティ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではピッティ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ピッティ宮殿について詳しくなること間違いなし!
ピッティ宮殿とは?
アルノ川の南側に位置する、フィレンツェの名門・メディチ家が所有していた住居で、ここはかつてトスカーナ大公の住居として利用されていました。15世紀に銀行家によって建造が始まり、16世紀に完成したルネサンス様式の宮殿。ここはメディチ家によって収集された美術品が並べられていたものの、18世紀にメディチ家最後の当主であったアンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチによって、政府に寄贈されました。フランスに持ち出された美術品があるもの、1911年からは美術館として1000点以上の美術品が公開されています。
ピッティ宮殿から中心部のウフィツィ美術館までヴァザーリの回廊という1kmにも渡る、建物の上を繋いだ隠し通路で結ばれています。これはメディチ家が自宅であるピッティ宮殿から仕事場であるウフィツィ美術館(政庁舎)まで、誰とも合わずに移動できるというもの。
ピッティ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ピッティ宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
フィレンツェの建造物や美術作品は6世紀以上に渡って築かれ、これらは人類の創造的な傑作であるという点。
登録基準(ii)
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロという2人の天才を育てたフィレンツェは、ルネサンス生誕の地の一つであり、ヨーロッパ全体に影響を与えたものであったという点。
登録基準(iii)
フィレンツェの優雅な宮殿や邸宅は中世とルネサンス期に栄えた商業都市だったということを証明するということ。
登録基準(iv)
ヨーロッパでも有数の経済都市であるフィレンツェは14〜17世紀にかけて壮麗な建造物が多く作られたということ。
登録基準(vi)
コジモが設立したプラトン・アカデミーなど、フィレンツェはルネサンスの概念が生み出された都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ピッティ宮殿は、ルネサンス期に建造された優美な宮殿で、ここは芸術作品が並び、かつてのメディチ家の繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ピッティ美術館は「パラティーナ美術館」としても知られ、絵画を中心としたコレクションで有名。その中でも『大公の聖母』が最も知られる作品ですが、これはメディチ家が集めたものではなく、1799年にトスカーナの未亡人の家から発見されたもの。なぜ未亡人がこれを持っていたかは不明。さらには科学的調査で加筆の跡も見られるというのも特徴なんです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。