登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(4),(6) |
登録年 | 1990年 |
モスクワの赤の広場は「モスクワのクレムリンと赤の広場」の構成資産の一つ。モスクワ中心部でも最も有名な広場で、博物館や大聖堂、デパートなどが並んでいます。ところで、赤の広場はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは赤の広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、赤の広場について詳しくなること間違いなし!
モスクワの赤の広場とは?
ロシアの首都の中心部にあるクレムリン。その周辺には多くの市場が作られましたが、その中でも東側の城壁の近くにある赤の広場は、15世紀に整備されたものが起源。ロシア語で「赤い」は「美しい」という意味も含んでおり、赤の広場は「美しい広場」という意味に近いもの。17世紀後半になると広場が整備され、次第に「赤の広場」と呼ばれるにようになりました。
約7万平方kmを越える広大な広場には、市場が開かれるだけではなく、軍事パレードや罪人の処刑なども行われる場でもありました。ソ連時代は、レーニンの遺体を安置したレーニン廟が中心であったものの、1893年に北東部にグム百貨店がオープンし、現在は市民の憩いの場となっていて、イベントなどもよく行われています。
ポクロフスキー大聖堂(聖ワシリイ大聖堂)
1551〜1560年にかけて、イヴァン4世(1530〜1584年)によって、カザン征服を記念して建造された大聖堂。中央の主聖堂の周りに、8つのドーム型の玉ねぎ型の小聖堂が囲むという構造になっています。これは「生神女マリヤ(聖母マリア)」をシンボルとするもの。
最初は生神女のための大聖堂でしたが、ワシリイという「佯狂者(正教会における聖人)」の小聖堂があることから聖ワシリイ大聖堂と呼ばれるようになりました。
モスクワの赤の広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
赤の広場が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
クレムリンの城壁内には、教会や大聖堂、宮殿が並び、赤の広場には聖ワシリイ大聖堂があったりと、このエリアには美しい建築物が多く残るということ。
登録基準(ii)
ロシア国内の建築物は、イタリアのルネサンスを取り入れた建築の集合体であるクレムリンから影響を受けているという点。
登録基準(iv)
クレムリンはロシア国内にいくつかありますが、12世紀に起源を持つモスクワのものは数あるクレムリンの中でもモデルとなるような構造を持つということ。
登録基準(vi)
クレムリンが設立されてからサンクトペテルブルクに首都が移転するまで、モスクワのクレムリンはロシアの歴史に密接に関わっていて、1918年に再び首都となるとレーニン廟が築かれ、ソ連のシンボル的な存在となったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
モスクワの赤の広場は、モスクワのシンボル的存在で、教会や大聖堂だけでなく、宮殿やデパートなどが並ぶ美しい広場であるという点で評価されています。
ちなみに、落ち物パズルゲーム「テトリス」は誰もが知るゲームですが、実は開発されたのはロシア。そのために背景によくロシアをイメージするものが登場するのですが、聖ワシリイ大聖堂はよく利用されています。なんとなく見ていたあの謎の建造物がコレ!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。