レコンキスタとは、スペイン語で「再征服運動」を意味する言葉。スペイン語だけになんとなく、キリスト教勢力がイベリア半島からイスラム勢力を追い出すというイメージを持つ方が多いと思いますが、具体的にどのような意味を持つのかは理解していない人が多いでしょう。
そこで今回はレコンキスタを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レコンキスタについて具体的に理解できること間違いなし!
レコンキスタの意味とは?どれくらいの期間を示すの?
レコンキスタとは、スペイン語で「再征服運動」を意味していて、日本の教科書においては「国土回復運動」と呼ばれます。「運動」とはなっていますが、これは718年から1492年にかけて、キリスト教徒がイスラム教徒からイベリア半島を取り戻すための長期にわたる戦争を指すもの。
この期間には多くの戦争や政変があり、最終的にはキリスト教の中央集権国家、スペイン王国が成立するに至ります。よって、スペインにとっては宗教的な側面だけでなく、歴史としても大きな変換期でもありました。それでは、どのように展開されたのか見てみましょう。
8〜11世紀:イスラム教勢力によるイベリア半島の征服
711年、中東で成立したイスラム王朝のウマイヤ朝(661〜750年)がイベリア半島に侵攻すると、それまでイベリア半島全体を支配していた西ゴート王国を滅ぼしました。半島南部からイスラム教勢力によって支配されていき、半島各地にいたキリスト教勢力は徐々に北部の山岳地帯へと後退してしまいます。
キリスト教勢力は敗戦が続きますが、その一方、718年に発生したコバドンガの戦いで、半島北西部にあったアストゥリアス王国(718年〜924年)のペラーヨがイスラム勢力に勝利しました。これがキリスト教側の初めての勝利であり、レコンキスタの始まりとなりました。ペラーヨが建国したアストゥリアス王国の首都オビエドには、イスラムの影響が見られるキリスト教会が今でも残っています。
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イスラム教徒はキリスト教徒に対して寛容だったということもあり、イベリア半島はさまざまな文化や宗教が共存する地域となりました。この時代、イベリア半島南部では、後ウマイヤ朝(756〜1031年)やムワッヒド朝(1130〜1269年)など、イスラム王朝が支配しています。
そういった背景もあり、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒は相互に影響を与え合い、半島はヨーロッパでも学問だけでなく、科学、建築などの分野が発展するエリアとなりました。特に世界遺産に登録されているエルチェの椰子園は、イスラム教徒の優れた灌漑技術が見られるもの。
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11〜13世紀:キリスト教国家の反撃
11世紀になると、半島中央部でカスティーリャ王国(1035〜1715年)や北東部でアラゴン王国(1035〜1715年)といったキリスト教国家が成立し、カスティーリャ王国の勇敢王・アルフォンソ6世(1040〜1109年)を中心に反撃は活発化しました。
しかし、1086年のザグラハスの戦いでは、新たにモロッコで勃興したムラービト朝がアルフォンソ6世を打ち破り、キリスト教徒たちの進撃を一時的に食い止めましたが、1094年にカスティーリャ王国のエル・シッド(1043〜1099年)がバレンシアを奪回するなど、この時期からイスラム勢力の領地を次々と攻略していきました。
この時期のレコンキスタは単なる軍事だけに留まらず、宗教的な意味も持ちました。イベリア半島以外のキリスト教国同士が、信仰の回復と土地の奪還を目的に協力し、ローマ教皇の呼びかけで勢力を結集。1228年から1248年にかけて、キリスト教徒たちはコルドバやセビリアといった主要な都市を奪回し、イスラム勢力をさらに追い詰め、1251年にはジブラルタル海峡に達して、事実上この時点でレコンキスタは完成しました。
コルドバやセビリアはもともとはイスラム教勢力の拠点ではありましたが、モスクは大聖堂に、宮殿は王宮として、キリスト教勢力が奪還した後も利用されています。
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13世紀〜1492年:レコンキスタの完了
しかし、1230年頃に成立したイスラム王朝であるナスル朝は1235年に現在のグラナダを攻略し、グラダナ周辺に王国を建建。ナスル朝は巧みな外交により、モロッコのマリーン朝などとも協力して15世紀まで存続させました。特にアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェは、かつてこの地を治めていた王族が住んだ美しい宮殿で、イスラムの高度な技術力が見られる場所。
最終的に、カスティーリャとアラゴン王国の合併を実現させた、フェルナンド2世とイサベル1世は、1492年にナスル朝のグラナダを陥落させ、レコンキスタをようやく完了させることになります。これによりスペイン王国はポルトガルを除き、統一され、世界帝国を築く土台を築くことになりました。
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世界遺産マニアの結論と感想
レコンキスタとは、711年から1492年にかけての約800年間、キリスト教徒がイスラム教徒からイベリア半島を取り戻す運動を指します。この歴史的な出来事は、スペインの国家形成と文化の発展に大きな影響を与えました。
キリスト教徒とイスラム教徒の宗教的対立が激化しましたが、その一方で、文化的な交流や寛容も見られました。スペイン語に多くのアラビア語由来の言葉が残るなど、この時代の文化的な交流の痕跡は今も続いています。 レコンキスタの結果、スペインはキリスト教国家として統一され、その後グローバルな大航海時代に突入する基盤が築かれました。このように、レコンキスタとはスペインの歴史において非常に重要な転換点であり、現代のスペインが持つ多文化的な側面にも多大な影響を与えています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。