ロシアの世界遺産「モスクワのクレムリンと赤の広場」とは?その場所も含めて世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4),(6)
登録年1990年

ロシアの首都モスクワ。14世紀に築かれた城塞は、大公の住処であり、ロシア正教の中心地でもありました。そして、その麓にある赤の広場は商人が多く集まる市場として発展。そこには聖ワシリィ大聖堂やレーニン廟など、ユニークな建造物が多く並びます。ここはロシアの歴史と密接に関わる場所でもありました。

ここでは、モスクワのクレムリンと赤の広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クレムリンと赤の広場について詳しくなること間違いなし!

目次

モスクワのクレムリンと赤の広場とは?その場所を含めて解説

ロシアの首都モスクワは、人口は約1300万近くの人々が住み、ヨーロッパでも最大規模の都市でもあります。クレムリンはモスクワで最も古いエリアで街の中心であり、今でも政治の中心地となっているのが特徴。

クレムリン

クレムリン
画像素材:shutterstock

クレムリンとは「城塞」を意味し、5つの門と29の塔がある三角形の城壁に囲まれたエリアを指します。記録として最も古いのは、12世紀にユーリー・ドルゴルーキーがモスクワ川沿いに建てた木造の要塞。この要塞を「クレムリン」と呼ばれ、中心部に都市が建造され、モスクワは発展していきました。

14世紀にはモスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイによって城塞は石造りとなり、15世紀になるとイヴァン3世(イヴァン大帝)がより強固な城塞と改築し、生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)や聖天使首大聖堂(アルハンゲリスキー大聖堂)、生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂)、高さ82mの高さを誇るイヴァン大帝の鐘楼などを建造。現在見られるクレムリンの原型はこの時期に完成しました。

17世紀に建造されたテレムノイ宮殿は、2階建ての構造で、ここは歴代のツァーリ(皇帝)の宮殿になりました。18世紀には、首都はサンクトペテルブルクに移転したものの、19世紀にはロマノフ朝のニコライ1世の治世に広大なクレムリン大宮殿が建造。これは現在の大統領府として使用されています。

生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)

生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)
画像素材:shutterstock

1475〜1479年にかけてイタリア人建築家アリストーテリ・フィオラヴァンティによって建設。「生神女(しょうしんじょ)」とは正教会においては「聖母マリア」を示していて、イヴァン3世の息子であるイヴァン4世は、ロシアで最初のツァーリとしてここで戴冠式を行っています。

聖天使首大聖堂(アルハンゲリスキー大聖堂

聖天使首大聖堂(アルハンゲリスキー大聖堂)
画像素材:shutterstock

1505〜1508年にかけて、イタリア人建築家アレヴィツ・ノーヴィによって建造。5つのドームを持つ大聖堂で、イヴァン4世の他、歴代のツァーリが埋葬されています。

赤の広場

赤の広場
画像素材:shutterstock

クレムリン周辺には多くの市場が作られましたが、その中でも東側の城壁の近くにある赤の広場は、15世紀に整備されたものが起源。ロシア語で「赤い」は「美しい」という意味も含んでおり、赤の広場は「美しい広場」という意味に近いのです。

約7万平方kmを越える広大な広場には、市場が開かれるだけではなく、軍事パレードや罪人の処刑なども行われる場でもありました。ソ連時代は、レーニンの遺体を安置したレーニン廟を中心にされていましたが、現在は市民の憩いの場となっています。

ポクロフスキー大聖堂(聖ワシリイ大聖堂)

ポクロフスキー大聖堂(聖ワシリイ大聖堂)
画像素材:shutterstock

1551〜1560年にかけて、イヴァン4世によって建造された大聖堂。中央の主聖堂の周りに、8つのドーム型の玉ねぎ型の小聖堂が囲むという構造になっています。当初は「生神女」のための大聖堂でしたが、ワシリイという「佯狂者(正教会における聖人)」の小聖堂があることから聖ワシリイ大聖堂と呼ばれるようになりました。

モスクワのクレムリンと赤の広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

モスクワのクレムリンと赤の広場
画像素材:shutterstock

モスクワのクレムリンと赤の広場が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
クレムリンの城壁内には、教会や大聖堂、宮殿が並び、赤の広場には聖ワシリイ大聖堂があったりと、このエリアには美しい建築物が多く残るということ。

登録基準(ii)
ロシア国内の建築物は、イタリアのルネサンスを取り入れた建築の集合体であるクレムリンから影響を受けているという点。

登録基準(iv)
クレムリンはロシア国内にいくつかありますが、12世紀に起源を持つモスクワのものは数あるクレムリンの中でもモデルとなるような構造を持つということ。

登録基準(vi)
クレムリンが設立されてからサンクトペテルブルクに首都が移転するまで、モスクワのクレムリンはロシアの歴史に密接に関わっていて、1918年に再び首都となるとレーニン廟が築かれ、ソ連のシンボル的な存在となったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ロシアの歴史はモスクワのクレムリンとともに歩んだと言っても違和感はないほどに、重要な場所です。そして、クレムリンの建造物は、ロシア国内の各都市のクレムリンや建築に多くの影響を与えているという点で評価。

ちなみに、赤の広場の目の前には、1893年創業の老舗デパート「グム百貨店」があります。広場の市場としての機能は、ここのデパートに移されたようなもので、一時は1200店舗もあったとか。ちなみに「グム」というのは、国営の百貨店を示すので、旧共産圏の国々には「グム」という名の百貨店を今でも見かけることもあるのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次