ポーランドの世界遺産「ワルシャワ王宮」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(6)
登録年1980年

ワルシャワ王宮は「ワルシャワ歴史地区」の構成資産の一つ。ここはポーランド王家の王宮であり、1944年に破壊されたものの、1984年に17世紀の姿へと戻され、当時の雰囲気が見られます。ところで、ワルシャワ王宮はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではワルシャワ王宮がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ワルシャワ王宮について詳しくなること間違なし!

目次

ワルシャワ王宮とは?

ワルシャワ王宮
画像素材:shutterstock

ワルシャワはポーランドの首都であり、ヴィスワ川沿いに面した都市。16世紀にジグムント3世(1566〜1632年)によって、当時のポーランド・リトアニア共和国の首都であったクラクフからワルシャワへ遷都した際に建造されたもの。

当時はバロック風の宮殿でしたが、1944年のワルシャワ蜂起の際に破壊。他の建造物は戦後すぐに再建されましたが、王宮だけは1984年まで再建されませんでした。これは当時のポーランドは社会主義時代だったので、政府による方針で再建が止められていたため。その後、他の歴史地区の建造物と同じく、破壊前のように忠実に修復され、国内から貴重な芸術作品が多く寄贈されたため、現在は美術館として利用されています。

ワルシャワ王宮はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ワルシャワ王宮
画像素材:shutterstock

ワルシャワ王宮が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ワルシャワの都市全体を復元するという大計画はヨーロッパにおいてもユニークなもので、その後の都市復元計画のモデルになったという点。

登録基準(vi)
ワルシャワの歴史地区は、世界の歴史においても例がない、国民によるキャンペーンによって復元され、現在も存在しているということ。
※再建された町並みが世界遺産に登録されるのはワルシャワ以外は認められないということになっています。

世界遺産マニアの結論と感想

ワルシャワ王宮は、国王の住まいだけあって美しい宮殿だったのですが、第二次世界大戦時に破壊されてしまったもの。その壮大な復元計画のモデルの一つとして評価されています。

ちなみに、城内に展示してあるレンブラント・ファン・レインの『額縁の中の少女』は、騙し絵と呼ばれるジャンルであり、レンブラントの中でも人気の作品。実はもともとはポーランド王家が所有していたもので、その後、さまざまな人物へ渡ったものの、最終的には再び王宮へと戻ってきたという運命的な作品。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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