登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 2021年 |
三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つ。三内丸山遺跡は1992年に本格調査された遺跡ですが、縄文時代前期〜中期における大規模な集落跡。ところで、三内丸山遺跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは三内丸山遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、三内丸山遺跡について詳しくなること間違いなし!
三内丸山遺跡とは?
青森県青森市の郊外の三内丸山にある、縄文時代前期〜中期の広大な集落遺跡。遺跡の存在自体は、江戸時代から知られていたものの、本格的な調査は1992年に野球場を建設する際に行われ、そこで初めてここが大規模な縄文遺跡であることが分かりました。
世界遺産に登録された17の遺跡の中でも唯一、国の特別史跡に指定されているほどに貴重なもの。大型の竪穴式住居跡や高床式倉庫跡など、合計で約780軒もの建築物跡が発見されていて、人口も多かったとされています。
土偶の数も他の遺跡よりも多く発掘されていて、日本最大の板状土偶も発見されています。そして、翡翠製の大珠も発掘されていて、現在の上越地方との交易があったとされることから、日本各地との交易も盛んであったとも推測。現在はこれらの遺物は敷地内にある縄文時遊館で保存されてます。
しかし、これほどの高度の技術を持ち、各地と交易をするほどの集落だったのにもかかわらず、なぜ終焉を迎えたのか、今でも分かっていません。
六本柱建物跡
遺跡のシンボル的な存在が「六本柱建物跡」。ここは名前の通り、6つの栗の木の柱で構成されたもので、高さは14.7m、柱穴の間隔は4.2m、幅は2m、深さは2mで、すべて統一されていることから、当時から既に測量の技術があったとされています。
現在は大林組のプロジェクトチームによって復元されていて、六本柱建物があったと思われる遺構に築かれています。
三内丸山遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
三内丸山遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
北海道・北東北の縄文遺跡群では、土器や土偶などの遺物、墳墓、土塁、ストーンサークルなどが発掘され、これらは世界的に珍しい定住型狩猟社会の文化を示すものであるということ。
登録基準(v)
北海道・北東北の縄文遺跡群は定住地の出現から成熟期までの土地利用が見られ、縄文時代の人々は、食料が採れる川の近くや干潟、森など、農耕社会のように定住地を大きく変えることなく、自然と適応しながら狩猟採集生活を維持してきたということを示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
三内丸山遺跡は昔から存在が知られていたものの、縄文時代前期〜中期までの大規模な集落地であったことが分かり、多くの建造物跡や出土物から当時の定住型狩猟社会の文化が見られるという点で評価されています。
ちなみに、復元された六本柱建物は、実際は屋根があったとされるほどに派手な装飾の建築物であったとか、柱だけのシンプルなものであったとか、専門家からはさまざまな議論がされていて、本来の姿は現代でも不明なまま。結局、床だけが置かれた中途半端なものに復元したところ、これはこれで否定的な意見もあり…なかなかうまくいかないのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。