エジプトの世界遺産「サッカラ(サッカーラ)遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (6)
登録年1979年

サッカラ(サッカーラ)遺跡は「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」の構成遺産の一つ。サッカラは、ジェセル王の階段ピラミッドがあることで有名で、古代エジプトでもかなり古い時代から続く埋葬地。ところで、サッカラはなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではサッカラがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サッカラについて詳しくなること間違いなし!

目次

サッカラ(サッカーラ)遺跡とは?

ジョセル王の階段ピラミッド/サッカラ(サッカーラ)遺跡
画像素材:shutterstock

首都カイロから南へ約30kmの距離にある丘の上にある遺跡。ここは古代エジプトの重要都市であったメンフィスの近くにある埋葬地でもありました。第2王朝(紀元前2890年頃?〜紀元前2686年)から王家の墓地として使用されただけあって、広大なエリアにピラミッドや墳墓などが多く点在しています。

最も有名なのは、第3王朝時代のファラオによって建造されたジョセル王の階段ピラミッド。これはマスタバと呼ばれる、日干し煉瓦を積み上げた墓を巨大化したもので、世界最古のピラミッドであり、サッカラでも最高の高さを誇るピラミッドでもあります。

メレルカのマスタバ/サッカラ(サッカーラ)遺跡
画像素材:shutterstock

第4王朝時代は北のギザやアブシールなどにピラミッドが築かれましたが、第5王朝〜第6王朝には再び王家の埋葬地となり、ピラミッドも残っています。しかし、どれも切石を使用せず、レンガ造りであったために、残念ながら保存状態が悪いといった状態。廷臣たちのマスタバはピラミッド周辺に多く築かれているというのも特徴です。

その後、新王国時代(紀元前1570年頃〜紀元前1070年頃)になると、ラムセス2世(紀元前1303年頃〜紀元前1213年頃)の息子であり、プタハ神の最高司祭でもあったカエムワセトは、以前に建造された墳墓を修復しました。その中でも、メンフィスで信仰された聖牛アピスの墳墓であるセラペウムは紀元前14世紀から存在しますが、彼が大幅に改修し、その後も紀元前30年前後までアピスの石棺は建造が続きました。

サッカラ(サッカーラ)遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ジョセル王の階段ピラミッド/サッカラ(サッカーラ)遺跡
画像素材:shutterstock

サッカラ遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
サッカラ(サッカーラ)の史上初のピラミッドや4000年以上の歴史を誇るギザの大ピラミッドなど、人類史に残るピラミッドが集まっているという点。

登録基準(iii)
ピラミッドはエジプト文明の形成にさかのぼるシンボルであり、この地に存在した王朝の権力と組織の象徴であったということ。

登録基準(vi)
メンフィスは、プタハ信仰の中心地というだけでなく、芸術などが盛んな美しい都であったということが分かるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

サッカーラはエジプト史上初のピラミッドである階段ピラミッドが建造された地であり、第3王朝をはじめ、数多くのファラオのピラミッドや廷臣のマスタバがあることから、彼らの政治的な権力を示しているという点で評価されています。

ちなみに、エジプトでも人気のビールは「ステラ」と「サッカラ」の2つの銘柄ですが、この「サッカラ」というのはサッカラ遺跡をモチーフにしていて、ラベルにも階段ピラミッドが描かれています。ステラと比べて、サッカラはコクがあるとされるので、遺跡巡りで疲れた夜に楽しんでみてはいかが?

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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