登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
松下村塾(しょうかそんじゅく)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは吉田松陰が講義した塾として有名で、幕末から明治まで日本の近代化を果たした人物を多く輩出しました。ところで、松下村塾はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは松下村塾がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、松下村塾について詳しくなること間違いなし!
松下村塾とは?
山口県北部にある日本海に面した城下町は、幕末から明治維新まで日本の近代化に貢献した人物を多く輩出した地。城下町の東側に位置する松下村塾は藩士の吉田松陰(1830〜1859年)が講義した塾。もともとは1842年に松蔭の叔父である玉木文之進(たまきのぶのしん、1810〜1876年)が開校した私塾で、幼い松蔭もここに入塾しました。
後に松蔭は長州藩の公立校である明倫館で塾頭を務めるものの、ここは武士しか入門できませんでした。それに対し、松下村塾は身分も関係なく受け入れたというのが特徴。1857年から松蔭が引き継ぎ、門下生には高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などの幕末・明治初期に活躍した人物がいて、ここで学んだために彼らの原点的な場所でもあります。
しかし、1858年に松蔭が投獄されると中絶。その後、塾は中絶と再開を繰り返し、1889年からは塾そのものを保存することとなりますが、結局1892年に兄の杉民治によって閉塾。1922年には塾舎は国の史跡となります。
松下村塾はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
松下村塾が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
松下村塾は、建物として幕末から残され、当時からの塾舎の保存状態は良いですが、ここには幕末から明治時代において日本の近代化に貢献した人物を多く学んでいた地として評価されています。そして、彼の思想は中国の近代化にも影響を与えたというのもポイント。
ちなみに、吉田松陰が塾頭を務めたのは2年にも満たない期間ではありますが、ここは師匠が一方的に教えるタイプの塾ではなく、生徒と意見を交わしたり、登山や水泳なども行うという、当時としてはフィールドワークを重視した学問であったためにかなり印象的だった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。