チェコの世界遺産「聖ヴィート大聖堂」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4), (6)
登録年1992年

聖ヴィート大聖堂は「プラハ歴史地区」の構成遺産の一つ。ボヘミア王の墓が並ぶ、チェコで最も広大な聖堂であり、各地に影響を与えたゴシック様式の聖堂でもあります。ところで、聖ヴィート大聖堂はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは聖ヴィート大聖堂がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、聖ヴィート大聖堂について詳しくなること間違いなし!

目次

聖ヴィート大聖堂とは?

聖ヴィート大聖堂
画像素材:shutterstock

ヴルタヴァ川(モルダウ川)の西岸、フラチャヌィの丘の上に築かれたプラハ城の内側にあるゴシック様式の建造物。10世紀に建造された、プラハ最古の教会で、現在の姿になったのは14世紀の神聖ローマ皇帝カール4世(1316〜1378年)の時代。

聖ヴィートという聖人の腕がこの地に届いた時、ボヘミア公のヴァーツラフ1世(907年頃〜935年)が、聖ヴィートをまつる教会を建造したことがルーツ。やがてヴァーツラフ1世は、チェコの守護聖人・聖ヴァーツラフとなりました。

聖ヴィート大聖堂
画像素材:shutterstock

14世紀までは円形の教会であったものの、1344年に大聖堂が建造されると、ここはプラハ司教区が大司教区となり、建築家のペトル・パルレーシュ(1333〜1399年)が2代目の建設担当となりました。彼は網目状にリブが交差するというネット・ヴォールトを設計。しかし、完成させることができず、彼の死後も建築が続けられました。

その後、ずっと作りかけの状態が続き、19世紀には高さ82mの塔が加えられ、最終的には1929年に完成しました。なんと完成まで1000年近くかかったというのが特徴。聖堂内には「聖ヴァーツラフの王冠」という宝冠が置かれているとされていますが、本物の場所は秘密とされています。

聖ヴィート大聖堂はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

聖ヴィート大聖堂
画像素材:shutterstock

聖ヴィート大聖堂が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
14世紀以降に政治、経済、文化などが発展したプラハは、中欧や東欧の各都市の建築や芸術様式のモデルとなったという点。

登録基準(iv)
プラハは世界的に有名な建築物と町並みが溶け込んだ、優れた都市建築物の集合体であるということ。

登録基準(vi)
プラハは、中央ヨーロッパのキリスト教の中心地であり、カレル大学によって学問が発展し、フランツ・カフカが住んだ街として文化も発展した都市であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

聖ヴィート大聖堂は、優れたゴシック様式の大聖堂でもあり、中欧や東欧の聖堂や教会建築に大きな影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、聖ヴィートは「ルカニアの聖ヴィトゥス」としてイタリア南部の聖人であり、ローマでも人気のある聖人でした。後にフランス経由でドイツのコルヴァイ修道院へと彼の聖遺骸が持ち込まれると、10世紀に東フランク王のハインリヒ1世によってチェコに贈られたのがきっかけ。この地域にはスヴェントヴィトという異教の神の信仰があったのですが、名前が近いことからスムーズに置き換えられたとか。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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