モンゴルの世界遺産「モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年2011年

モンゴルの最西端にある3つの岩絵群には、彫刻や墓碑などが点在し、これらは1万2000年にわたってモンゴルの文化の発展を示す貴重なもの。紀元前11000~6000年に描かれたものは大型の哺乳類を狩猟をしていたことが分かりますが、その後に作られた岩絵は牧畜へと移行し、紀元前1000年初期にはスキタイ人や西暦7〜8世紀にはテュルク系民族など、遊牧生活に移行したことを示すという北アジアの先史時代の共同体の変化が理解できるという点で貴重。

ここではモンゴル・アルタイ山脈の岩絵群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルタイ山脈の岩絵群について詳しくなること間違いなし!

目次

モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群とは?

モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群
画像素材:shutterstock

アルタイ山脈は、モンゴルやロシア、カザフスタンにまたがる広大な山脈。ここにはツァガーン・サラー=バガ・オイゴル、上ツァガーン・ゴル、アラル・トルゴイと呼ばれる3つの岩絵遺跡があり、これらは更新生(約258万〜約1万年前)に氷河によって形成された渓谷に位置するもの。岩絵は紀元前1万1000年前に作られ、その後1万2000年に渡って彫刻や葬祭に関する記念碑が作られました。

完新世前期(紀元前約11000~6000年前)に築かれた岩絵は、当時はこの地が森林に覆われていて、大型の野生動物を狩猟していたことが分かり、完新世中期(紀元前約6000~4000年前)の岩絵にはこの地が草原となり、牧畜が行われたことを示すもの。そして、完新世後期の岩絵には、紀元前1000年にスキタイ人による馬を中心とした遊牧生活が見られ、西暦7〜8世紀にはテュルク系民族など、草原の大帝国への拡大とつながっています。これは中央アジアと北アジアにまたがる地域における有史以前の社会を理解できるという点で貴重。

モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群
画像素材:shutterstock

アルタイ山脈の岩絵群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
モンゴル・アルタイ山脈の岩絵群は、中央アジアと北アジアの交差点でもあるアルタイ山脈北西部の有史以前の共同体の記録を残すもの。初期のものはマンモスやサイ、ダチョウなどが描かれていて、当時ここが寒冷地であることを示し、後期更新世になると草原となり、完新世前期には森林に覆われ、ヘラジカ、オーロックス、アイベックスなどが描かれています。ここは北アジアにおいて、その数や種類、さらに質の高い青銅器時代以前の彫刻が発見される遺跡として貴重であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

アルタイ山脈の岩絵群は、この地における自然環境や生物の変化を示すもので、規模といい、種類といい、質が非常に高く、ここは中央アジアと北アジアの交差点に位置する共同体の記録が残っているという点で評価されています。

ちなみに「テュルク系民族」というのは、現在においてはアナトリア半島のトルコ人が最も有名ですが、もともとは中央アジアのモンゴロイドがルーツだったとされています。そして、混血を繰り返して、現在のトルコ人になっていったと考えられていて、実は現在のトルコ人にもモンゴロイドの遺伝子が少し残っていたりするのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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