登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1979年 |
ツタンカーメンの墓は「古代都市テーベとその墓地遺跡」の構成資産の一つ。エジプト中部のルクソールの西側にある王家の谷において最も有名な王墓でもあり、埋葬されていた少年王・ツタンカーメンは今でも多くの謎を秘めています。ところで、ツタンカーメンの墓はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではツタンカーメンの墓がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ツタンカーメンの墓について詳しくなること間違なし!
ツタンカーメンの墓とは?
王家の谷は、ナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。新王国時代のファラオの墓が多く集まり、24の王墓を含めた64の墓が点在。
王家の谷はすでに20世紀初期までにほとんどの墓が盗掘に遭いましたが、エジプト第18王朝のツタンカーメン(紀元前1341年頃〜紀元前1323年頃)の王墓だけは、ラムセス6世の墓のための作業小屋の下にあったために、1922年に考古学者ハワード・カーターに発見されるまでほぼ未盗掘でした(正確には2回ほど盗掘されてはいます)。
なぜツタンカーメンはこんなにも有名なの?
ツタンカーメンの墓は、外室と埋葬室、宝物庫、別室という、他の王家の谷の墓と比べても小さいのですが、発見された副葬品は5000点を上回り、莫大の数の副葬品が置かれていたのです。実はツタンカーメンの在位期間はわずか10年程度だったので、それまでは全く知名度はありませんでした。しかし、王家の谷において他の王の墓はすべて盗掘されていて、ここでは黄金のマスクだけでなく、ミイラや副葬品を含めた埋葬当時の様子がほぼ完璧に保存されている例がなかったため「大発見」だったのです。
副葬品はほぼすべてカイロにある考古学博物館に運ばれたため、現在は石棺のみが残っています。ミイラは2022年までは王墓の中で厳重に保存されていましたが、今後はカイロの大エジプト博物館で展示される予定。
ツタンカーメンの墓はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ツタンカーメンの墓が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
テーベに残る神殿や葬祭殿、墓地に関する遺跡は、人類の創造的資質を示すものであるという点。
登録基準(iii)
テーベの古代都市の名残は、エジプト中王国・新王国の文明の存在を示すということ。
登録基準(vi)
神殿にはアメン・ラー神の信仰があり、墓地遺跡には古代エジプトの人々の死後の世界に対する思想などが見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ツタンカーメンの墓は歴史的大発見であり、副葬品を含めて当時のエジプト新王国の反映を示していて、死後の世界の思想がよく分かるという点でも評価されています。
ちなみに、ツタンカーメンの墓で発見されたとされる「エンドウ豆」は世界中で栽培されていますが…実はこれ、あまり根拠がないんだとか。というよりも、ツタンカーメンの墓には、公式としてはエンドウ豆の種子が存在していた記録はないのです。そして、3000年以上前の種子を発芽させるというのは現代の技術では難しく、かなり疑わしい話とか。もちろん、あくまでもロマンではあるので「信じるか信じないかはあなた次第」である情報です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。