エジプトの世界遺産「王家の谷」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(3),(6)
登録年1979年

王家の谷は「古代都市テーベとその墓地遺跡」の構成遺産の一つ。エジプト新王国時代のファラオたちの墓が多く集まる谷で、副葬品は盗掘されたものの、美しい壁画などは今でも見られます。ところで、王家の谷はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここでは王家の谷がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、王家の谷について詳しくなること間違いなし!

目次

王家の谷とは?

王家の谷
画像素材:shutterstock

ナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。新王国時代のファラオの墓が多く集まり、24の王墓を含めた64の墓が点在。第18王朝のトトメス1世(紀元前1506年〜紀元前1493年)から第20王朝のラムセス11世(在位:紀元前1098年〜1070年頃)まで、多くのファラオが眠っていた墓地でした。

なぜここが選ばれたのかというと、テーベの丘陵にはまるでピラミッドのようなアル・クルンと呼ばれる山があり、その麓に王墓を置くことで、古王国時代の王墓であるピラミッドの姿を反映しているとも考えられています。

メルヘンプタハの墓/王家の谷
画像素材:shutterstock

1922年に発見されたツタンカーメンの墓以外はすべて盗掘されていて、中には保存状態が悪いものも。王墓群は東の谷と西の谷に分かれていて、東の谷にはKV1~KV64という名前がつけられいるものの、ほとんどが非公開となっています。西の谷は、4つの王墓が残っていますが、公開されているのは第18王朝のアイのみ。

有名なのは、ラムセス2世の息子であるメルヘンプタハ(在位:紀元前1212年〜紀元前1202年)の墓(KV8)。内部の壁画が今でも残っていて、大きな棺も残されているのですが、ミイラはKV35で発見されました。他にもラムセス4世(在位:紀元前1151年〜紀元前1145年)の王墓(KV2)、さらにはラムセス5世の王墓を拡張したとされるラムセス6世(在位:紀元前1141年〜紀元前1133年)の王墓(KV9)なども、美しい壁画があることで知られます。

ツタンカーメンの王墓

ツタンカーメンの王墓/王家の谷
画像素材:shutterstock
※写真は2022年以前のもの

王家の谷はすでに20世紀初期までにほとんどの墓が盗掘に遭いましたが、ツタンカーメン(紀元前1341年頃〜紀元前1323年頃)の王墓だけは、ラムセス6世の墓のための作業小屋の下にあったために、1922年にハワード・カーターに発見されるまでほぼ未盗掘でした(正確には2回ほど盗掘されているものの、被害はかなり小さいもの)。

墓には莫大の数の副葬品が発見され、それらはカイロにあった博物館に運ばれたため、現在は石棺のみが残っています。ミイラは2022年までは王墓の中で厳重に保存されていましたが、今後はカイロの大エジプト博物館で展示される予定。

王家の谷はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ラムセス6世の王墓/王家の谷
画像素材:shutterstock

王家の谷が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
テーベに残る神殿や葬祭殿、墓地に関する遺跡は、人類の創造的資質を示すものであるという点。

登録基準(iii)
テーベの古代都市の名残は、エジプト中王国・新王国の文明の存在を示すということ。

登録基準(vi)
神殿にはアメン・ラー神の信仰があり、墓地遺跡には古代エジプトの人々の死後の世界に対する思想などが見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

王家の谷の岩窟墓は、その美しさだけでなく、エジプト新王国時代の王の権力や死後の世界に対する思想などが分かるという点で評価されています。

ちなみに征服王であり、最も有名なファラオ・ラムセス2世の墓はKV5とされているのですが、地下深くまで広がっていたため、洪水の影響でレリーフが無くなっていて、ほぼ崩壊しています。なんと部屋は200以上もあり、彼の息子や共同墓地もあったことから、もし残っていたら相当豪華だったでしょうね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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