登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4) |
登録年 | 1985年 |
トプカプ宮殿は「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つ。オスマン帝国の歴代の君主(スルタン)が15〜19世紀にかけて暮らした宮殿で、何度も増改築されたものの、現在でも保存状態が良好です。ところで、トプカプ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではトプカプ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トプカプ宮殿について詳しくなること間違いなし!
トプカプ宮殿とは?
イスタンブール旧市街がある半島の付け根ともいうべき場所に築かれた宮殿。ここは1460年代頃からコンスタンティノープルを陥落したメフメト2世によって建造した、オスマン帝国時代のスルタンの宮殿でした。
トプカプとはトルコ語で「大砲の門」という意味で、19世紀にスルタンが去った後に名付けられたもの。もともとは内陸にあった旧宮殿に対して「新宮殿(イェ二・サライ)」と呼ばれていました。ここは15〜19世紀と長きに渡って使用され、歴代のスルタンが増改築を繰り替えしてきました。二重の外壁に囲まれていて、約70万平方kmもの広大な敷地を誇ります。帝王の門と呼ばれる門をくぐると、外壁と内壁の間にある「第一の中庭」と呼ばれる広大な空間があり、ここは一般人も自由に出入りできる場所でした。
内壁に囲まれた敷地が、宮殿の本体とも呼ぶべきエリア。行政や公式行事が行われる外廷、スルタンのプライベートな空間である内廷、皇帝の母后や后、子供たちを含め、多くの女官や宦官(かんがん)などが住む後宮の3つに分けられていました。
世界中の他の宮殿に比べて、ここは広大な建造物を持たずに、小さな建物や部屋が連続し、多くの庭園と離れ(キオスク)が混在するというユニークな構造。これはもともと遊牧民族であったトルコ人の伝統に由来するともされています。現在は博物館として一般人にも開放され、スルタンの至宝なども展示。
トプカプ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トプカプ宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アヤ・ソフィアやスレイマニエ・モスクなど、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代の傑作が多く残るという点。
登録基準(ii)
テオドシウスの城壁は軍事建築、アヤソフィアは大聖堂の建築様式やモスクのモデルとなったりと、ヨーロッパと中東各国の芸術や建築様式に影響を与えたということ。
登録基準(iii)
イスタンブールの旧市街に残る建築物はビザンツ帝国とオスマン帝国時代にここが繁栄していた様子がよく分かり、特にスレイマニエ・モスクやゼイレク・モスク周辺の伝統的住宅はオスマン帝国後期の都市設計などが見られるという点。
登録基準(iv)
各時代の建築物が残るイスタンブールは街全体が建築史そのものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
トプカプ宮殿は歴代のスルタンの住んだ宮殿というだけあって、敷地内にオスマン帝国時代の建築物が多く集まり、オスマン帝国の建築様式の発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ハレムでスルタンの后となるのは、各地から売られてきたキリスト教徒出身の女奴隷が多かったものの、スルタン自体は正規の結婚を行うことはほぼありませんでした。彼女たちはハレムの中で、教養を身に付けていき、その中でもスルタンのお気に入りになると側室となります。さらに後継者となる男子を産めば「母后(ヴァーリデ・スルタン)」となり、大出世。それに至るまでは、とてつもない権力争いがあり…まさにオスマン帝国風「大奥」といったところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。