登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 1991年 |
ワット・プラ・シーサンペットは「古都アユタヤ」の構成資産の一つ。3つの大きな仏塔が並ぶ、アユタヤのシンボル的なスポットで、アユタヤ王朝にとっても重要な場所でした。ところで、ワット・プラ・シーサンペットはなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではワット・プラ・シーサンペットがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ワット・プラ・シーサンペットについて詳しくなること間違いなし!
ワット・プラ・シーサンペットとは?
アユタヤの中心部にある王宮跡の南方に位置する仏教施設。ここはワット(寺)とされていますが、宮中儀式などが執り行うことが多かった場所でした。この地はアユタヤ朝の創始者ラーマーティボーディー1世(1314年?〜1369年)によって王宮が建造されましたが、その後、仏教施設になったと考えられています。
敷地には仏塔が3つ並び、これらはそれぞれラーマーティボーディー2世(1472〜1529年)、彼の父であるトライローカナート王(1431〜1488年)、彼の兄であるボーロマラーチャーティラート3世(?〜1491年)の遺骨が納められている場所。
仏塔の東側には本堂が存在し、ここには171kgの純金の仏像「プラ・シーサンペット」が置かれていたとされていて、それが寺院の名前の由来とされています。しかし、これらは1767年のビルマ(ミャンマー)のアユタヤの侵攻で寺院や仏像は破壊されててしまっため、廃墟となってしまいました。とはいえ、他の遺跡に比べて漆喰などがきちんと残っているのが特徴。
ワット・プラ・シーサンペットはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ワット・プラ・シーサンペットが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
アユタヤの遺跡では、タイ独自の芸術の発展が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ワット・プラ・シーサンペットは、宮中儀式が行われ、王のための仏塔が築かれたことから、アユタヤ王朝にとって非常に重要な場所であるという点で評価されています。
実は、トライローカナート王のルーツは世界遺産にも登録されているタイ北部のスコータイ王朝にあり、彼の父であるサームプラヤーによってスコータイ王朝はアユタヤ王朝の支配下に置かれました。ということで、スコータイ王朝の中心都市であったピッサヌロークを一時的にアユタヤ王朝の首都にしたりと、2つの王国は割と密接な関係があるのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。