カタールの世界遺産「アル=ズバラの考古遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (5)
登録年2013年

カタールの北西部に位置する、かつて港町であったアル=ズバラは、クウェートの商人よって設立されました。ここは18世紀後半から19世紀初頭に真珠産業や交易で栄え、宮殿やモスク、邸宅、漁師小屋などを含めた遺跡が残り、ここは大国に挟まれながら独立国家として存続したことを示し、現在の湾岸諸国の誕生にも繋がっているという点でも貴重。

ここではアル=ズバラの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アル=ズバラの考古遺跡について詳しくなること間違いなし!

目次

アル=ズバラの考古遺跡とは?

アル=ズバラの考古遺跡
画像素材:shutterstock

ペルシャ湾沿岸の城壁に囲まれた港町であったアル=ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭に交易で栄え、真珠産業の中心地でもありました。ここはクウェートの商人によって設立されたこともあって、特に真珠の輸出が多く、最盛期はインド洋やアラビア半島を越えて取引をしていました。都市は9世紀頃の初期イスラム時代をルーツにしていて、ペルシャ湾の他の要塞都市とともに発展したものの、1811年に大部分が破壊されると、20世紀初頭に放棄されてしまいます。

その後、砂で都市は覆われてしまったものの、現在では一部だけ発掘されています。ここはズブラー砦、宮殿、モスク、中庭のある邸宅、城塞、運河、墓地、城塞などで構成。短期間しか使用されず、砂に埋もれていただけあって保存状態は良好です。ここは小さな国家であり、周辺の国家とは違い、交易と真珠産業の伝統が見られ、周囲のオスマン帝国やヨーロッパの領地、ペルシャ帝国などから独立を保っていたこともあり、現在の湾岸諸国の小国の出現にも繋がったということも示すもの。

アル=ズバラの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

アル=ズバラの考古遺跡
画像素材:shutterstock

アル=ズバラの考古遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
アル=ズバラは、アラビア半島でも真珠取引で繁栄した町の都市計画が残されていて、ここはペルシャ湾の商人や真珠取引の伝統を示し、初期イスラム時代から20世紀まで、この地域の沿岸の町の伝統が見られるという点。

登録基準(iv)
アル=ズバラは、18世紀後半から19世紀初頭に栄えた要塞化された港町で、オスマン帝国やヨーロッパ諸国、ペルシャ帝国などに支配されることがなかった、小さな独立国家の例であり、現在の湾岸諸国の設立へと繋がったということ。

登録基準(v)
アル=ズバラは、海や砂漠といった周辺の環境と、人間との相互作用を示し、真珠採取や国外の陶磁器、帆船、漁業用の罠、井戸、農業活動など、町の発展が商業と交易にどのような影響を与えたかを示すものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

アル=ズバラは、この地が真珠産業と交易で繁栄した要塞都市の跡地であり、大国に支配されることがなく、独立を保ったことから現在の湾岸諸国へと繋がりました。そして、遺跡からは砂漠と海という環境の中で人々が暮らしてきたという足跡が遺跡から見られるという点で評価されています。

ちなみに、カタールの世界遺産は、アル=ズバラだけですが、現在は「ホール・アル・ウデイド自然保護区」というカメやジュゴンなど貴重な動物が見られるという自然遺産が候補として暫定リストに載っています。いつかは世界遺産になるかもですね!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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