登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (5), (6) |
登録年 | 2014年 |
玉門関(ぎょくもんかん,)は「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の構成資産の一つ。古来から中国と西域を結ぶ回廊を防衛するために設置された関所で、現在は遺構となっています。ところで、玉門関はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは玉門関がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、玉門関について詳しくなること間違いなし!
玉門関とは?
甘粛省敦煌市から北西へ約90kmの位置にあり、かつてシルクロードの分岐点であった敦煌の郊外に築かれた関所でした。ここは前漢の時代(紀元前206年〜8年)に、中国と西域を結ぶ「河西回廊(かせいかいろう)」を防衛するために、紀元前108〜107年に建造。ここはシルクロードの中でも「オアシスの道」の一つ、天山山脈を抜けるルートにおいて重要な関所で、現在残るのは唐代(618〜907年)に再建されたもの。
ここは古代より中国における「辺境の地」だったために、文化人によって作品のテーマとなったことも特徴。しかし、宋の時代(960〜1279年)になると西域の交通は衰退してしまったため現在は遺跡となっています。
玉門関はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
玉門関が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
シルクロードという広いネットワークは、ユーラシア大陸のさまざな文化が交差し、遊牧民と農耕民族が交流して、建築や都市計画、宗教、生活様式など、さまざまな点で影響を与えたということ。
登録基準(iii)
シルクロードが栄えることで、紀元前2世紀〜紀元16世紀までのユーラシア大陸全体の経済と文化が活性化し、景観を大きく変えていったという点。
登録基準(v)
乾燥地帯のため、交易によって井戸や水路などの知識が持ち込まれ、都市や農地の開発がされていったということ。
登録基準(vi)
シルクロードによって、中国へに仏教とネストリウス派のキリスト教が普及され、他にもマニ教、ゾロアスター教、イスラム教の拡大はシルクロードによるものであったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
玉門関は、広大なシルクロードを通じて東西の文明が往来していた時代に築かれた関所で、現在も当時の姿を残すという点で評価されています。
ちなみに、玉門関は万里の長城の最西端とかつては考えられていたのですが、昨今は新しい遺構が発見されていて…実はまだまだ長城は西に延びていたというのが現代の説。万里の長城は恐ろしい長さなのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。