登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1991年 |
ドイツ中西部にある小さな都市ロルシュは、中世には文化や政治の中心地だった場所。ここは8世紀に聖ナザリウスと呼ばれる聖人の遺骸が置かれたことから巡礼地となり、ロルシュは大いに繁栄しました。しかし、16世紀に修道院が解散すると、ここは破壊と再建を繰り返し、現在は「王の門」と呼ばれる門だけが残る遺跡となっています。遺跡からは当時の文化が分かるという点で評価。
ここではロルシュの修道院とアルテンミュンスターがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ロルシュ修道院について詳しくなること間違いなし!
ロルシュの修道院とアルテンミュンスターとは?
ロルシュは、ドイツ中西部のヘッセン州にあり、8世紀に設立された修道院遺跡があります。ここはフランク王国(5世紀後半〜887年)の貴族であり、熱心なキリスト教徒であったカンコルによって設立されたもので、アルテンミュンスターは「旧司教座聖堂」という意味の通り、ここには聖堂が築かれていました。
ローマ教皇から聖ナザリウスと呼ばれる聖人の遺骸が送られると、ここは巡礼地となりました。その後、カロリング朝のルートヴィヒ2世や3世の埋葬地となり、9世紀には学校や豊富な蔵書を誇る図書室、写本室などが築かれ、この地方の文化の中心地というだけでなく、政治的影響を持つほどに繁栄。
しかし、11世紀に火事になって焼けると、12世紀に再建されたものの、13世紀にはマインツ大司教に属するようになり、16世紀には修道院が解散。その後、破壊と再建を繰り返し、17世紀には遺跡となってしまいます。当時の名残を残しているのは「王の門」と呼ばれる門のみ。ここは赤と白の装飾の外観に、フレスコ画が見られたりと、カロリング・ルネサンス(カール大帝の時代に栄えた文化)が見られる数少な居場所でもあります。
ロルシュの修道院とアルテンミュンスターはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ロルシュ修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
王の門を代表とするロルシュ修道院の遺跡は、カロリング朝(751〜987年)時代の建築の遺構が残っていて、当時の彫刻や絵画などが見られるという点。
登録基準(iv)
王の門が残るロルシュ修道院の遺跡は、カール大帝のもとで発展した中世初期・中期の文化を示す建築物であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
現在はほぼ遺跡となっていますが、王の門はカロリング朝時代の文化を示すもので、ここがカール大帝のもとで発展したカロリング・ルネサンスなど、当時の繁栄が見られる数少ないスポットであるという点で評価されています。
ちなみに、カロリング朝の「カロリング」は「カールの」という意味で、まさにカール大帝のイメージでありますが、王朝の創設者は彼ではなく、父であるピピン3世。実はフランク族には姓がないので、この王朝の一番有名なカール大帝から由来しています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。