登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4),(6) |
登録年 | 1998年 |
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、「古都奈良の文化財」の構成遺産の一つ。中国出身の鑑真が晩年に開基した寺院として有名ですが、どんな理由で薬師寺は世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは唐招提寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、唐招提寺について詳しくなること間違いなし!
唐招提寺とは?有名な鑑真のお寺
奈良市五条町にある律宗の総本山。唐の僧であった鑑真が失明をしながらも6度目の航海で753年に日本にようやく辿り着くと、759年に朝廷からこの地を譲り受け、仏教教団が守るべき規範である「戒律」を学ぶ寺として、大いに活躍しました。
その後、寺院は何度か破壊と再建を繰り返しましたが、8世紀後半に建立された現在の金堂は奈良時代から唯一現存するもの。金堂は国宝に登録されていて、8世紀後半に制作された乾漆盧舎那仏坐像が今でも置かれています。教科書でおなじみの国宝の鑑真和上像のある御影堂は、1649年に建立され、鑑真和上像は763年政策と日本最古の肖像彫刻とされるもの。
唐招提寺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
唐招提寺が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
古都奈良の文化財は、中国や朝鮮半島との文化的な繋がりが見られ、深い影響を与えられつつ、日本の建築と芸術が当時としては高い水準に達していたということを示すという点。
登録基準(iii)
現在残る建築物や遺構からは平城京が首都であった時代に日本独自の文化が開花したということを証明しているということ。
登録基準(iv)
平城京跡と奈良に残る建造物は、アジアの最初期における国家の首都の都市計画と建造物の優れた例であるという点。
登録基準(vi)
奈良の仏教寺院と神社は、山や森を神格化するという日本独自の神道思想などが見られ、これは今でも日本人精神に残っていて、宗教的な文化を継承し続けているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
唐招提寺は当時の唐から危険を顧みず、日本へと「戒律」を伝導しに訪れた鑑真が開基しただけあって、当時の朝廷と中国との関係がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、鑑真は748年の5度目の航海で、日本へ行くつもりが、中国の海南島へと漂着してしまいました。仕方なく、1年間もここで過ごし、島の人々に薬の知識を伝えたことから、島では鑑真を記念した遺跡などが残っています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。