登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (5) |
登録年 | 2010年 |
フランス南西部のタルン川にあるアルビは、かつて異端とされたキリスト教の一派であるカタリ派(アルビジョア派)の中心地でありましたが、13世紀にフランス王国によって征服されると街は大いに発展しました。現在も司教が暮らしたベルビ宮殿、世界最大のレンガ造りの建造物であるサント・セシール大聖堂、ポン・ヴィユー(古い橋)など、中世当時の建造物がそのまま残されています。
ここではアルビの司教都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルビについて詳しくなること間違いなし!
アルビの司教都市とは?
フランス南西部のタルヌ県の県庁でもあるアルビ。中世になると、ローマ・カトリックからは異端とされたカタリ派(アルビジョア派)の拠点となり、1208年にローマ教皇とフランス王が共同で結成したアルビジョワ十字軍によって征服されると、南仏はフランス王国領に組み込まれ、アルビはカトリックの司教が支配する都市へと変わりました。
現在の街並みは、カトリックの司教によって都市計画がされた時代以降のもので、サント・セシール大聖堂は13〜16世紀にかけて司教によって建造されました。これは南仏における中世のゴシック建築の傑作であります。11世紀に建造されたポン・ヴィユー(古い橋)、11世紀建造のサン=サルヴィ参事会聖堂などは改修を繰り返して現存。
しかし、都市はルネサンス期まで商業で繁栄したものの、その後衰退したために、旧市街は当時のレンガ造りの美しい建造物が残りました。
登録されている構成資産
ベルビ宮殿
ベルビとは、かつて南仏で話されていたオック語の司教(ビスべ)から由来し、13世紀にこの地がカトリックに支配されると、司教ベルナール・ド・カスタネによって宮殿として建造されたもの。もともとは城壁と4つの塔が存在し、要塞のような外観でありましたが、徐々に邸宅へと姿が変わりました。1905年には博物館となり、1922年には画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの作品が並ぶ美術館に。
サント・セシール大聖堂
ベルビ宮殿の南側に位置する大聖堂は、13〜16世紀にかけて司教によって建造されたレンガ造りの建造物。もともとはこの地には、4世紀から教会があったとされますが、ローマ・カトリックから派遣された司教の支援を受け、現在見られるゴシック様式の大聖堂となりました。幅35m、高さ40m、奥行きは114mもあり、レンガ造りの聖堂としては世界最大のもの。高さ78mの鐘楼は街のどこからも見られるシンボル的存在でもあります。
アルビの司教都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルビが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
アルビの司教都市は、中世の建築物が多く並び、これらは地元産の焼成レンガを使用することで、街の景観も統一され、美しい都市景観となっています。サント・セシール大聖堂は南仏におけるゴシック様式の建築と装飾における代表作であるという点。
登録基準(v)
アルビの旧市街は何世紀に渡って徐々に発展していきましたが、特に中世以降に大いに発展。アルビジョワ十字軍によって、大聖堂と宮殿を中心にカトリックを象徴する都市へと変貌し、建築物は完成度が高く、保存状態が良い都市の一つ。街には中世・ルネサンス期のヨーロッパの特徴である都市生活の形跡が今でも見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アルビは、異端とされたカタリ派の拠点だったために、カトリックが都市そのものを支配すると、カトリックにおける理想的な都市が建造されました。中世以降はレンガ作りの建造物が当時のまま残されたため、その都市計画が現在も見られるという点で評価されています。
ちなみに、ルネサンス期にアルビはホソバタイセイの産地となり、これはインディゴ染料の材料とされたために大いに繁栄しました。タイセイは当時は色落ちしない理想的な染料でしたが、大航海時代を経てインドからインディゴが安く手に入るようになると、一気に街が衰退したというほど。結局、アルビ産のものが人気が落ちた理由は、あまり品質も良くなかったからだそうな。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。