登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (5) |
登録年 | 2013年 |
ウクライナ南部、クリミア半島の南端にあるケルソネソス・タウリケは、紀元前5世紀に設立されたギリシャの植民都市。現在は都市遺跡となっていて、周囲にはチョーラと呼ばれる小区画に分けられた農業領域が存在し、これらはブドウ園として利用されていたもの。このブドウ園のシステムによって都市は15世紀まで繁栄し、ギリシャ人と黒海北部の交流の地でもありました。
ここではケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ケルソネソス・タウリケについて詳しくなること間違いなし!
ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(チョーラ)とは?
クリミア半島の中心都市セヴァストポリ近郊にあるケルソネソス・タウリケの遺跡。「ケルソネソス・タウリケ」とは「クリミア半島」の古称で、ここはギリシア人の植民都市として紀元前5世紀に設立。やがて黒海沿岸における重要な交易都市となり、2000年に渡ってクリミア半島の商業の前線基地として役割を果たしてきました。紀元前3世紀ころには古代劇場や「ゼノンの塔」と呼ばれる見張り塔が建造され、これらは今でも現存。4世紀になると都市はキリスト教を受け入れ、かつてはシナゴーグがあった場所に6世紀に建造された「1935年のバシリカ」は遺構として残る程度ではありますが、この遺跡のシンボル的存在でもあります。
都市の周囲には、長方形の農業領域を示す「チョーラ」で分けられた6つのエリアの遺構が世界遺産に登録されています。長方形をした畑の各区画はは壁で仕切られていて、石灰岩の土壌と気候によってほとんどがブドウ園として利用されていました。農作物の輸出によって15世紀までケルソネソス・タウリケは繁栄するものの、遊牧民によって攻撃され、都市は放棄されてしまいます。
ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(チョーラ)はどんな理由で世界遺産に登録されているの れ?
ケルソネソス・タウリケが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ケルソネソス・タウリケは、ギリシャ、ローマ、ビザンツ帝国と黒海北方の住民との交易の跡が見られ、古代都市と農場は文化交流の影響を受けていて、長期間に渡って維持されていたという点。
登録基準(v)
ケルソネソス・タウリケの周囲にあるチョーラは、400以上の区画を割り当てられた広大な農業領域で、場所によっては遺構が残るという農業景観が見られます。壁や要塞、農場などを含めた広大な遺跡は、当時の市民の生活が見られ、生産物の変化にもかかわらず、農業の継続的利用が見られる景観を残すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ケルソネソス・タウリケは、ギリシャ人による植民都市で、周囲はブドウを含めた農場の遺構を含む景観が今でも見られ、周囲の民族との交流しつつ、市民は農業の交易で富を築き、この地は何千年に渡って維持され続けたという点で評価されています。
ちなみに、ケルソネソス・タウリケはウクライナの世界遺産ではありますが、クリミア半島はロシアが2014年から実効支配されているため、遺跡の保護の「責任」と「帰属」については非常に難しい問題となっています。そして、ここは沿岸部であることから遺跡は浸食によって削られる可能性もあり、問題は山積みですね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。