広島県の世界文化遺産「原爆ドーム」とは?もともと何の建物だったの?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(6)
登録年1996年

1945年8月6日、世界で初めて原爆が落とされた日。爆弾が投下された付近で唯一残存した建築物が「原爆ドーム」。人類にとって忘れてはいけない記憶を残すため、広島の市民によって大切に保存されてきました。その努力もあり、1996年に世界平和と核兵器の廃絶を願って世界遺産に登録。

ここでは、原爆ドームがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、原爆ドームについて詳しくなること間違いなし!

目次

原爆ドームとは?もともとはどんな建物だったの?

原爆ドームの元の姿は?正式名称は「広島県産業奨励館」

原爆ドーム
画像素材:shutterstock

現在の原爆ドームと呼ばれている建設物は、かつて「広島物産陳列館」と呼ばれていて、1910年にチェコの建築家・ヤン・レツルによって設計されたもの。1915年には「広島県産業奨励館」と名称を変更。全体的に3階建ての構造になっていて、5階建てのドームや壁画はネオ・バロック様式の影響が見られます。さらに、ゼツェシオン様式(分離派)の細部装飾も見られ、さまざまな建築様式を持つモダンな建物でした。

原爆ドームはなぜ残ったの?中にいた人はどうなった?

原爆ドームの内部は?

原爆ドーム
画像素材:shutterstock

1945年8月6日8時15分。アメリカ軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」によって広島上空から投下された原子爆弾は、現在の原爆ドームの付近で爆発。そして、爆心地にあった建物はほぼすべて消え去りましたが、唯一残っていたのはこの建造物でした。当日にこの建物で勤務していた内務省職員がいたとされ、全員即死したと考えられています。名簿によると約30名とされていますが、あくまでも名簿に刻印した人数であり、実際の被害者はもっといたと推測。

戦後、廃墟となったこの建設物は、爆発直後の状態のまま残っており、屋根部分の円蓋がまるでドームに見えることから「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。窓が多い建造物だったため、爆風が窓から吹き抜けるという構造から、その姿は現在でも被爆前の形状が分かる程度に残されています。現在は内部は立ち入り禁止ですが、建物のレンガやギリシャ風のイオニア式の柱、洋式庭園の噴水など、当時の様子が分かるものも一部だけ残存。

原爆ドームはいつ世界遺産に登録された?

長い活動の末に1996年に登録

原爆ドーム
画像素材:shutterstock

1950年には原爆ドームを囲むように平和記念公園が建設が始まり、1964年に完成。毎年8月15日にはここで「平和記念式典」が行われています。

原爆ドームは保存を願う市民の活動もあり、1966年には広島市議会で永久保存を決定。1992年には広島市はユネスコへの推薦を求めたものの却下されてしまいます。その後、市民の運動もあり、1995年には国の史跡に指定。1996年12月5日には、世界文化遺産への登録が決定したのです。

原爆ドームはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

原爆ドーム
画像素材:shutterstock

原爆ドームが評価されたのは?以下の点。

登録基準(vi)
原爆ドームは、人類が生み出した原爆の破壊力を示す場所であり、半世紀以上に渡って世界平和のシンボルとして存在しているということ。

通常、世界遺産の登録基準は(vi)単体だと登録されることがまずなく、他の基準と組み合わせるのが好ましいとされています。(vi)が使用されたのは、かなり例外的でICOMOS(世界遺産委員会の諮問機関)は建物としての評価ではなく、世界平和を目指す記念物としての価値を評価しました。

負の遺産

原爆ドーム
画像素材:写真AC

ユネスコとしては正式に定義しているわけはないのですが、「アウシュヴィッツ強制収容所」のように人類の悲惨な歴史を伝える建造物や記念碑はこのように呼ばれています。原爆ドームもこれに属すると考えられているのですが、中国とアメリカは原爆ドームの登録に対して否定はしないものの、懸念を示しています。

世界遺産マニアの結論と感想

世界文化遺産というのは、大抵は建物としての価値が認められるものですが、原爆ドームは登録基準(vi)で登録された世界遺産ということで、かなり異例の遺産でもあります。ただここは世界初の原爆の投下した場所であり、人類にとっては忘れてはいけない出来事。そして、平和を願う人々によって保存されてきたことにより、原爆ドームはそのシンボルとなったという「存在」に価値が生まれたということなのです。

ちなみにですが…この広島県物産陳列館では、ドイツ人捕虜であったユーハイムによって日本で初めてバウムクーヘンが販売されたことで有名。そして、彼は後に横浜で菓子店を開きました。それが現在のJUCHHEIMのルーツでもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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