登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2018年 |
デンマークの国境近くにあるヘーゼビューの考古遺跡は、かつてのヴァイキングの定住地で、9世紀にはすでに集落が存在したという記録があり、ここには集落や港、墓地などが存在していました。そして、ユトランド半島とヨーロッパ大陸を隔てる境界線であるダーネヴィアケ(デンマーク人の堡塁)も近くにあり、これらは北欧との交易の中心地でもあったということを示すもの。
ここではヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヘーゼビューとダーネヴィアケについて詳しくなること間違いなし!
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群とは?
ドイツ北部に位置するシュレースヴィヒ渓谷にはダーネヴィアケと呼ばれる土塁があります。近くには交易の中心地であったヘーゼビューという集落遺跡があり、ここには道路や建築物、墓地、港などの遺構が残存。ユトランド半島はスカンジナビア半島とヨーロッパ本土を結ぶ地であることから、当時の商人からすれば海峡を渡ってバルト海へと出るには悪天候などの危険性があったため、ユトランド半島を横断する陸路と途中に位置する中継地ヘーゼビューは安全なルートを確保するためにも重要でした。そして、ダーネヴィアケは国境地帯の輸送路を保護するという役割もあり、これらは8世紀に建設され、歴代の王たちは補強を行っていて、第二次世界大戦時には防衛施設として転用されています。
ここは南のフランク王国(現在のフランス・ドイツ・イタリアなどを含む国家)と北のデンマンーク王国の国境地帯であり、ヘーゼビューは交易拠点として9世紀から11世紀かけて重要な集落でした。遺構には遠隔地から大量の物資がここに運ばれたことを示しています。ここは半円状の城壁に囲まれていて、丘の上には砦があり、ダーネヴィアケとも接続していました。近くには3つのルーン文字が刻まれた石碑も発見されています。
これらは現在は遺跡であり、発掘されているのは現在でも5%程度。2005年にはヴァイキングの家々が復元され、当時の集落の雰囲気が今でも分かるようになっています。
ヘーゼビューとダーネヴィアケの考古学的境界線群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ヘーゼビューとダーネヴィアケが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ヘーゼビューとダーネヴィアケは数世紀に渡って西欧と北欧間の海洋貿易と交流が見られ、デンマーク王国とフランク王国の国境地帯の中心地でもあり、それぞれの文化圏の交流と交易が見られる考古学的資料として、よく保存されているもの。これらはヴァイキング時代のヨーロッパの経済や社会の発展が理解できる場所であるという点。
登録基準(iv)
ヘーゼビューはヨーロッパ大陸にまたがる交易ネットワークを促進し、ダーネヴィアケと連携して、当時の新興国家であったデンマーク王国とヨーロッパの国々との交差点であり、交易全体を管理した場所。ここは8〜11世紀にかけて海と陸にまたがる主要な交易ルートの中心で、国境地帯の防衛システムに接続された交易集落の例として重要であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ヘーゼビューの集落とダーネヴィアケの土塁は、当時のデンマーク王国とヨーロッパの国々との国境に位置し、ここはヴァイキングたちの陸の交易路の中心地として繁栄し、国境地帯の防衛システムであったデーネヴィアケと合わせて交易集落の遺構を残し、ヴァイキング時代の社会や経済が理解できるという点で評価されています。
ちなみに、ヘーゼビューの生活は楽ではなかったらしく、住民の平均寿命は30〜40歳であり、重い病気にかかって亡くなる人が多かったというのが調査で分かっています。さらに男性は化粧をしていたということも分かっていて、その理由も全く謎ですが、今後の調査で分かっていくでしょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。