登録区分 | 文化遺産 危機遺産2016年〜 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 1982年 |
リビア北西部に位置する港町サブラタは紀元前6世紀ころにフェニキア人によって設立された都市で、この地方の中心的存在でした。紀元前1世紀になるとローマ帝国の属州となり、現在の遺跡は2世紀のトラヤヌス帝時代以降に再建されたもの。遺跡に残る円形劇場はアフリカでも最大規模で、レリーフの保存状態も良好です。
ここではサブラタの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サブラタについて詳しくなること間違いなし!
サブラタの考古遺跡とは?
サブラタはリビアの首都トリポリから西へ約65kmの地中海岸に位置する都市。ここは紀元前6世紀ころに地中海の交易で富を築いたフェニキア人によって設立された港湾都市で、やがてトリポリタニア(リビア北西部)のオエア(トリポリ)、レプティス・マグナと並ぶフェニキア3大都市へと発展。一時期、近隣のヌミディア王国(紀元前202年〜紀元前46年)に支配されるも、紀元前1世紀からローマの北アフリカの属州になると、2世紀のローマ皇帝トラヤヌス帝の時代に植民都市となり、3世紀にいたるまで都市が発展していきました。しかし、4世紀になると地震が相次ぎ、7世紀以降はアラブ人の侵攻によって廃墟となり、現在は遺跡となっています。
考古遺跡は現在の市街地の北方にあり、3世紀に建造された3層構造の円形劇場で知られます。これは北アフリカでも最大規模の劇場で、レリーフが多く残り、当時の芸術様式が見られるもの。ローマ時代の神殿やビザンツ帝国時代のバシリカ教会堂の跡も見られ、特に住宅や浴場跡には美しいモザイクの床版も残っています。
危機遺産(危機にさらされている遺産)
2016年にリビアの内紛による建造物の損壊の可能性から、他のリビアの世界遺産同様に危機遺産に登録。
サブラタの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サブラタが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
サブラタの遺跡はフェニキア人の交易の場であり、アフリカの後背地から届く品がこの地で集約するという構造を持っていて、2〜3世紀にローマ帝国に再建されるまで、一時的にマシニッサ王(紀元前238年〜紀元前148年)が治めていた時代のヌミディア王国の属領でもあったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
サブラタはフェニキア人による地中海でも有力な港として発展したという歴史のある都市ではありますが、現在残る遺跡は2〜3世紀にローマ時代に再建されたものがほとんどで、円形劇場の保存状態はかなり良好であるという点で評価されています。
ちなみに、リビアの首都はトリポリですが、地中海東部のレバノンにもトリポリという港町があり、ここは世界遺産として登録されています。とはいえ、町としての歴史はリビア版のトリポリは紀元前7世紀、レバノン版のほうが紀元前15世紀創設とかなり古いのですが、あちらは首都ではないので…町の規模や知名度としてはリビアのほうが上かもしれません。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。