ロシアの世界遺産「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1993年

首都モスクワの北東部にある宗教都市セルギエフ・ポサードは、14世紀の聖人セルギー・ラドネシスキーによって建造された、ロシアでも最も重要な修道院の一つでした。ここにはロシアでも有名な修道士セルギー・ラドネシスキーの棺のある至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)があり、聖堂には15世紀のロシア芸術の傑作『至聖三者』が置かれていたことで知られています。

ここではセルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、至聖三者聖セルギイ大修道院について詳しくなること間違いなし!

目次

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群とは?

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群
画像素材:shutterstock

モスクワから北東へ約70kmもの位置にある宗教都市セルギエフ・ポサード。ポサードとは「門前町」という意味で、セルギエフとは、14世紀の貴族出身の修道士セルギー・ラドネシスキー(ラドネジの克肖者聖セルギイ)が由来。彼がここに木造聖堂を建造したことが修道院のルーツでもあります。その後、モスクワ大公の支援を受け、修道院は大きく発展。

セルギー・ラドネシスキーの死後、至聖三者大聖堂(トロイツキー大聖堂)が建造され、彼の不朽体(遺体)はここで安置されました。そして、15世紀に中世ロシアでも最も高名なイコン画家のアンドレイ・ルブリョフの傑作『至聖三者』が納められたことでも知られます。16世紀には、モスクワ大公ツァーリ・イヴァン雷帝によって、修道院最大の大きさを誇る生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー聖堂)が建造され、全長1.4kmもの城塞も加わり、大修道院になりました。

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群
画像素材:shutterstock

17世紀には、皇帝や皇后を迎えるほどの大修道院となり、食堂付きの聖堂などバロック様式の建築物が築かれていき、後に宮殿や修道士の宿舎、神学校なども建造されました。18世紀には、修道院周辺は門前町が形成され、ロシア正教最大の宗教センターへと発展。

ロシア革命後は閉鎖されましたが、第ニ次世界大戦後はモスクワ主教座が一時置かれるほどで、現在でも多くの巡礼者が集まる聖地でもあります。

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建造物群
画像素材:shutterstock

至聖三者聖セルギイ大修道院が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
至聖三者聖セルギイ大修道院は、伝統的なロシア建築と西ヨーロッパの建築様式の融合が見られ、東ヨーロッパの建築の発展に影響を与えたという点。

登録基準(iv)
至聖三者聖セルギイ大修道院には、15〜18世紀に発展・拡大した時期の特徴が残り、軍事機能も持つ正教会の建造物の中でも傑作であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

至聖三者聖セルギイ大修道院は、大修道院として発展した時期の聖堂などが残っていて、中には西欧から取り入れられたバロック建築なども見られ、ロシアで多く見られる正教会の城壁で囲まれた修道院建築の中でも傑作であるという点で評価されています。

ちなみに『至聖三者』のオリジナルは現在モスクワのトレチャコフ美術館に置かれています。とはいえ、現在でも複製品が至聖三者聖セルギイ大修道院に置かれてはいますが、何故か2つも安置。どちらも偽物ですが…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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