登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 2021年 |
トルコ南東部にあるマラティヤ平野。ここには少なくとも紀元前6000年頃から中世まで数千年に渡って人が住んでいたとされる都市遺跡であるアルスランテペがあります。遺跡からは世界でも最も古い剣なども発見されていて、アナトリア半島最古の集落とされるもの。
ここではアルスランテペの遺丘がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルスランテペの遺丘について詳しくなること間違いなし!
アルスランテペの遺丘とは?
トルコ南東部に位置する都市マラテヤの郊外に残る遺跡。アルスランテペとは「ライオンの丘」という意味で、高さ30mの丘陵地帯に遺跡が広がっています。ここは50年以上にも及ぶ発掘から、紀元前6000年頃から利用されていたということが分かり、トルコで最も古い宗教都市であったとされるもの。
最も古い層に残る遺構は、メソポタミア文明でいうと初期ウルク時代(紀元前4300~3900年)のものとされる、レンガで築かれた建造物でした。ここは農業に適した地であることから、支配階級によって統治された都市国家が存在していたと考えられています。後期青銅器時代から集落は発展したものの、都市はやがて火災によって衰退。
紀元前2000年頃からはアナトリア半島の中央部にあったヒッタイト帝国の影響を受け、後期ヒッタイト王国時代には、メリドという名の首都となったことも。しかし、紀元前8世紀にはメソポタミアの大国・アッシリアに破壊され、しばらく放置。その後、ローマ時代は都市、ビザンツ帝国時代は墓地として使用され、中世になると完全に放棄されてしまいます。そのため、ここは何層にも集落が重なった遺跡となりました。
アルスランテペの遺丘はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルスランテペの遺丘が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
紀元前6000年代から存在する都市遺跡からは世界最古の支配者階級の墳墓や最古の剣などが発掘され、アナトリア半島における都市国家の出現から官僚制度への繋がりを示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
トルコに残る遺跡でも、ここはアナトリア半島最古の都市国家の出現を示す遺跡で、アルスランテペの社会構造がやがて官僚が支配する国家組織へと繋がっていったという点で評価されています。
ちなみに、世界最古の剣は、初期青銅器時代(紀元前33~31世紀)のもの。一部は銀の象嵌細工が施されていて、その後の時代の墓でも剣が見つかっていることから、剣はどちらかというと副葬品であり、切れ味は二の次だったのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。