モンゴルの世界遺産「大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4), (6)
登録年2015年

モンゴル北東部に位置するヘンティー山脈の中央部にある「神の山」ブルカン・カルドゥンは、山だけでなく、川やオボーと呼ばれる石塚なども含めて、シャーマニズムと仏教が融合した山岳信仰が見られます。そして、ここはモンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの生誕地であり、死後に埋葬されたと信じられている場所として有名。

ここでは大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブルカン・カルドゥンについて詳しくなること間違いなし!

目次

大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観とは?

大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観
画像素材:shutterstock

ブルカン・カルドゥンは、モンゴル語で「神の山」といったニュアンスを持つもの。ここはモンゴル北東部に広がるヘンティー山脈の中央にあり、中央アジアのステップ(高原)とシベリアのタイガ(針葉樹林)が接する場所。そして、この地はモンゴル帝国を築いたチンギス・ハンの生誕地であり、埋葬地であると信じられてきました。しかし、現在でもチンギス・ハンの墓は公式には発見されていません。

この山は古くから遊牧民であるモンゴル族によってシャーマニズムによる山岳信仰が行われていたとされていますが、15世紀に仏教が普及するとその伝統は衰退。しかし、1990年代になると山岳信仰が復活し、仏教の儀式と融合しつつも続けられています。現在は17世紀に破壊されたとされるオボーと呼ばれる石塚(現在は再建)が3つあるだけで、それ以外の建造物はほとんど存在していません。ただ巡礼路だけは今でも存在していて、山から約20kmほどの距離から途中にあるオボーを経由して山頂のオボーへと続くもの。

大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

大山ブルカン・カルドゥンと周辺の神聖な景観
画像素材:shutterstock

ブルカン・カルドゥンが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
ブルカン・カルドゥンは、かつてモンゴル民族を統一し、大帝国を築いたチンギス・ハンにまつわる山岳信仰の跡が残る地であり、今でも信仰が行われているという点。

登録基準(vi)
ブルカン・カルドゥンは、さまざまな史料からモンゴル帝国のルーツ的存在であり、その歴史と関連しているという点でモンゴル民族によって重要視される場所。さらにはこの地が世界遺産に登録されたことは山岳信仰の価値が認められ、この山が「チンギス・ハンと関係性がある」ということが公に認められたということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ブルカン・カルドゥンは、世界帝国まで築いたモンゴル帝国にまつわる史料においてはここがチンギス・ハンの生誕地であり、埋葬地であると記された「起輦谷」という説が有力で、この地に残るオボーを含む山岳信仰の跡はそれを証明する一つであり、途中で途切れたものの、現在でもその信仰は続けられています。

で、ここまで読み進めると、モンゴル国的にはチンギス・ハンの墓がここにないと非常に困ると思うのですが、確かにモンゴル帝国時代には陵墓が存在していたものの、その存在は重要機密だっため、後継国家が滅ぶとその場所は忘れ去られてしまったのです。日本の調査隊が首都ウランバートル東部にチンギス・ハンの宿営地を発見し、その近くに霊廟がある可能性があるのですが、モンゴル人の感情を考慮して墓は今でも探されていません。しかし、シカゴ大学の教授によってヘンティー山脈の丘に遺構を発見するも…これもまだ発掘はされていません。

…つまりは、発掘とは「モンゴルの英雄の墓を荒らす」という行為にもなるので、現代のモンゴル国民の気持ちを配慮すると難しいところなのです。しかし、「ブルカン・カルドゥンの近くに墓があるかも」というくらいで世界遺産になるのなら、墓が発見されたら確実に世界遺産になりそうですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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