登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2020年 |
クメール・ルージュは、カンボジアが民主カンプチア(1975〜1982年)と呼ばれた時代の中心勢力であり、彼らは1975〜1979年にかけて国内で大虐殺を行い、国民の約4分の1を虐殺したとされています。首都プノンペンの旧M-13刑務所とトゥールスレン虐殺博物館、チュンエク虐殺センターは彼らの大虐殺の記憶が残されている場所。
ここではカンボジアの記憶の場:弾圧の中心から平和と反省の地へがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カンボジアの記憶の場について詳しくなること間違なし!
カンボジアの記憶の場:弾圧の中心から平和と反省の地へとは?
クメール・ルージュはカンプチア共産党(1951〜1981)内のポル・ポト派のことを指し、当時の首相であり、党の中央委員会書記長であったポル・ポト(1925〜1998年)を中心とした組織でした。彼らは毛沢東の思想から大いに影響された急進的な組織で、当時のインドシナ半島の複雑な政治情勢の中で徐々に勢力を拡大し、1975年にアメリカ主導のクメール共和国(1970〜1975年)の崩壊と同時に彼らの政治思想を実現するために大量殺害を開始。
自給自足の農村社会主義を理想としたために、国民に対して非人道的な強制的労働を強いて、専門家や知識人、仏教の僧侶、少数民族などを虐殺していきました。さらに子どもたちを教化させ、洗脳し、残虐行為を行わせるなど、国内は大いに混乱しました。そして、ベトナムへの大量の難民を生み出すことにより、1978年にベトナム軍が侵攻を開始し、ポル・ポト政権は崩壊。しかし、結果として数年で150万から200万もの人々が犠牲となり、これは1975年のカンボジアの人口の約4分の1となることから、歴史的大虐殺となってしまったのです。
登録されている構成資産
M-13刑務所
プノンペンの北西に位置する、コンポンチュナン州プレイ・クラオ村にある刑務所跡。1975年にクメール・ルージュが支配する前に設立された初期の刑務所の1つであり、大量虐殺が行われたとされますが、犠牲者の正確な数は不明。
トゥールスレン虐殺博物館(旧S-21)
プノンペンのやや南方に位置するトゥールスレンにある収容所で、現在は「トゥールスレン虐殺犯罪博物館」となっています。クメール・ルージュを政権を握っていた当時のプノンペンはほぼ無人となっていたため、1976年に学校として利用されていた建物を、反革命分子を尋問するために利用。1977年まで1万4000〜2万もの人々が収容され、なんと生還できたのはたったの8名だったとされるほど。
現在は拷問室や、囚人たちの写真、拷問の様子などを描いた絵画など展示されていて、床には今も血潮が残っています。
チュンエク虐殺センター(S-21)
トゥールスレンでは埋葬場がいっぱいになったため、1977年にはプノンペンの南西に位置するチュンエク村に移された処刑場。もともとは中国人墓地であったものの、クメール・ルージュが政権を握った数年間は毎日ここで遺体が運ばれ、遺体が埋められました。
1980年以降、犠牲者の遺体を掘り起こされると、ここで調査がされるようになりました。その後、ここは「キリング・フィールド」と呼ばれるようになり、現在は慰霊塔が置かれ、犠牲者を偲ぶため、多くの人々が訪れています。
カンボジアの記憶の場:弾圧の中心から平和と反省の地へはどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
カンボジアの記憶の場が評価されたのが、以下の点。
登録基準(vi)
これらの3つの場所は、多くの死傷者を出したカンボジア大虐殺の犠牲者を追悼する場所であり、囚人たちの写真によって、ここはクメール・ルージュの犯罪を象徴し、その証拠として国際的に認められているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
クメール・ルージュは、短い期間であるものの、都市部から人々を農村部へと移動され、急進的な農村社会主義を作り出した結果、その急激な変化の中、無実な人々が多く虐殺されることとなり、これらの施設は写真や生き残った人々などから、その虐殺の過程を記憶として残す場所であるという点で評価されています。
ちなみに、クメール・ルージュ政権では、医者は殺害されるか集団農場へと移動されたため、まともな医者が国内にいなくなった時期がありました。そこでクメール・ルージュはなんと10代の子どもを医者として雇い、彼らは西洋医学の本や医薬品も手に入れることもできなかったため、当時はめちゃくちゃな治療が行われたのです。このような状況だったので、死亡者が増加したというのも納得ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。