登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2014年 |
ドイツ中部の都市ヘクスターの郊外にあるコルヴァイは、9世紀に田園地帯に設立された建造物。ここはカロリング朝時代(751〜987年)に最も重要とされていた修道院で、多大な蔵書の数を誇る図書館を持つことで有名でした。現在の建造物は17世紀にバロック様式で再建されたものですが、西構(ヴェストヴェルク)はカロリング朝時代のものが残り、壁画からは当時のキリスト教世界や文化などがよく分かるというもの。
ここではコルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキヴィタスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コルヴァイについて詳しくなること間違いなし!
コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキヴィタスとは?
ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州に位置するヘクスター市の郊外に位置するコルヴァイはヴェーザー川沿いにある建造物群。ここは822〜885年に建造された修道院がベースとなっていて、カロリング朝においては最も重視された修道院の一つでもありました。特に政治と文化の面では当時の中心地であり、この地域で最も権威のある図書館があったことでも有名。しかし、徐々に権威は衰退し、修道院は三十年戦争(1618〜1648年)で破壊されてしまいます。その後、バロック様式で復元されたものの、1792年に修道院は廃止され、周囲を含めて侯爵の私有地になり、その後は城館となりました。
城館の西構え(ヴェストヴェルク)だけはカロリング朝時代のもので唯一残っている部分。ここは旧修道院教会の西側に存在したもので、もともとは3つの塔が併設された建造物でしたが、12世紀に2つの塔のファサードに改修されました。1階の柱の回廊にはカロリング朝の修道院であった時代の広間の遺構が残っていて、ギリシャ神話の場面を題材にした壁画などもあり、これはギリシャの英雄などが、キリスト教の聖人と関連して理解されているという独特なもので、これらの作品は「カロリング・ルネッサンス」の代表的なものでもあります。
コルヴァイのカロリング朝ヴェストヴェルクとキヴィタスはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
コルヴァイが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
コルヴァイの城館はカロリング朝時代の建造物であったヴェストヴェルクを持ち、ここはかつての旧修道院教会の一部を活用した玄関ホールであり、ロマネスク様式とゴシック様式の教会建築と改築技術の発展が見られ、さらにバロック様式の要素が加えられているという点。
登録基準(iii)
コルヴァイの城館はかつて中世ヨーロッパでは影響力のある修道院であり、10世紀には学校と図書館を持ち、宗教や文化、経済の中心地として機能していました。修道院内には、巡礼者用の宿泊施設や住居などがあり、さらに使用人や作業小屋なども見られ、ここはカロリング朝ルネサンスの代表的な建造物であったということ。
登録基準(iv)
コルヴァイの城館のヴェストヴェルクは、聖職者のための施設というだけでなく、国を発展させるための手段として建造されたというカロリング朝の建造物の傑出した例で、要塞化された修道院と周囲の集落を含めて発展した都市構造は、中世の政治と文化、経済を物語るものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
コルヴァイは中世においては蔵書数の多い図書館があった権威ある修道院であり、カロリング・ルネサンスとして政治や文化の中心地でもあった場所。その後、修道院は破壊され、かつての教会の一部だったヴェストヴェルクだけが残り、それを現在の城館と見事に融合しているという点で評価されています。
ちなみに、教会近くの墓地は、ドイツ国歌『ドイツの歌』の作詞者ホフマン・フォン・ファラースレーベンの墓があります。しかし、意外なことに彼自身は国に対しては反体制派でした。『ドイツの歌』は大学から追放されて各地を放浪している時にドイツ民族統一を願って作詞したもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。