登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4),(5) |
登録年 | 1995年 |
イタリア北西部に位置するクレスピ・ダッダは、アッダ川沿いに19世紀後半に資本家クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピによって築かれた紡績・織物工場を中心とした企業都市でした。ここは1929年代に街が売却され、1970年代まで一つの会社に所有されていたという珍しい例。
ここではクレスピ・ダッダがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クレスピ・ダッダについて詳しくなること間違いなし!
クレスピ・ダッダとは?
クレスピ・ダッダは、イタリア北西部のロンバルディア州ベルガモ県にある都市で、ここはアルプスから流れるアッダ川沿いに位置し、紡績・織物工場を経営する資本家クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピによって19世紀後半に築かれました。最終的には彼の息子シルヴィオによって20世紀初期に完成したもの。
シルヴィオはドイツとイギリスの製粉工場でその仕組みを研究し、安定した労働力を維持するために、クリストフォロの理想でもあった、労働者たちが快適な住居で暮らし、快適なサービスを受けられるという都市構造を築きました。しかし、世界恐慌やファシスト政権の財政政策により売却され、住宅は個人に売却されるものの、街は1970年代まで一つの会社に所有されていました。
街の建造物は幾何学的に配置されていて、幹線道路によって二分されています。道路の西側には工場が、東側は労働者が住む邸宅や学校、聖堂が並んでいて、南側はクレスピ家の城や管理者の家が配置。ここでは労働者たちが劇場やプールなどを無料で利用できるというのが特徴でした。同時期のヨーロッパや北米で見られる多くの企業都市でも優れた例であり、起業家による理念が反映された都市でもあります。
クレスピ・ダッダはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
クレスピ・ダッダが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
クレスピ・ダッダは、19〜20世紀にかけて建造されたヨーロッパと北米の企業都市の中でも優れた例で、起業家による労働者たちに対する哲学が反映されているという点。
登録基準(v)
クレスピ・ダッダは、経済や社会の発展による変化を生き延び、その都市構造や建築物がそのまま残る企業都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
クレスピ・ダッダは、19〜20世紀における世界各地の産業都市の中でも、労働者が暮らしやすいように起業家が計画した優れた都市で、その構造が現在でも残っているという点で評価されています。
ちなみに、シルヴィオは車の愛好者で、イタリア初の自動車専用道路の建設を推進するだけでなく、なんとレーシングサーキットまで自ら建造するほどのマニアっぷり。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。