アフガニスタンの世界遺産候補「バグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(4), (6)
申請年(暫定リストに記載)2009年

アフガニスタンの首都カーブルの南西に位置するバーブル庭園は、ムガル帝国の初代皇帝のバーブル(1483〜1530年)が築いた庭園で、彼の墓でもあります。ここは何度も造園を繰り返し、中央アジアやインドにおける庭園の歴史が見られるという文化的景観として評価されているもの。

ここではバグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バーブル庭園について詳しくなること間違なし!

目次

バグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)とは?

バグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)
画像素材:shutterstock

カーブルは、アフガニスタン東部に位置し、標高約1800mの位置にある大都市。歴史としては3000年もあるとされ、さまざまな民族に支配されましたが、16世紀になると西アジア一帯を支配したティムールの子孫であるバーブルがこの地を支配すると、ここでムガル帝国を建国し、やがてインド一帯を領土とする大帝国の礎を築きました。

彼はインドのアグラで亡くなるものの、その後、1554年頃にここに移されたということもあり、ムガル帝国の皇帝たちはここを崇拝し、庭園が拡大され、モスクなども建造されました。19世紀になるとテラスや給水施設が追加され、さらに20世紀になると公園のように整備されたりと、時代が下るたびにさまざまな要素が加えられていきました。現在は再建され、大幅に整備し、多くの旅行者が訪れる人気スポットとなっています。

バグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

バーブル廟/バグ=エ・バーブル、バーブルの庭園(デ・バーブル・ブン)
画像素材:shutterstock

バーブル庭園が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
登録基準(vi)

バーブル庭園は、ムガル帝国の庭園から近代的な公園まで時代とともに変化し、16世紀から20世紀にかけて、造園様式の変化の跡を残し、文化の発展が見られる文化的景観の優れた例であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

バーブル庭園は、初代ムガル皇帝のバーブルが築き、彼の墓であったことから、皇帝たちが増築していき、さらには公園のように整備していったことから、庭園の歴史が垣間見られるという点で評価されています。

ちなみに、バーブルは遺言でカーブルで埋葬してほしいと臨んだのですが、息子のフマユーンはアグラで埋葬してしまいました。しかし、その後、ムガル帝国を崩壊寸前まで追い込んだ、政敵のスール朝のシェール・シャーがバーブルの棺をカーブルへと埋葬したため、ある意味、願いは達成されたものの、何故か敵によって叶えられたという不思議な経緯を持ちます。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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