スーダンの世界遺産「ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (3), (4), (6)
登録年2003年

スーダン北部に位置する、小さな丘ゲベル・バルカルはナイル川沿いに位置していて、ここはアフリカ最古の黒人国家であるクシュ王国時代に築かれた古代都市でした。ナパタ地方には5つの遺跡が残っていて、これらはエジプト第25王朝(紀元前747〜656年)を築いたクシュ王国の拠点であり、この地に残る遺跡は今でも現地の人にとって聖地とされています。

ここではゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群について詳しくなること間違いなし!

目次

ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群とは?

ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群
画像素材:shutterstock

ゲベル・バルカルは、スーダンの首都ハルトゥームから北へ約400kmもの距離にある古代遺跡。ナパタ地方には5つの遺跡が残っていて、これらはアフリカ最古の黒人王国のクシュ王国のもの。遺跡は、ナパタ文化(紀元前900〜270年)とメロエ文化(紀元前270年〜紀元350年)の2つの時期に分けられます。

ここはエジプト新王国の第18王朝のトトメス3世が紀元前15世紀にこの地まで遠征し、高さ約100mの砂山の上にナパタと呼ばれる都市を建造しました。スーダン北部はエジプト文化の南限となっていて、ここはエジプトの影響を多く受け、紀元前13世紀に丘の麓にはエジプトの主神であるアメンの神殿が建造されるほど。やがて紀元前8世紀になると、クシュ王国3代目の王・ピアンキ(ピイ)がエジプトに侵攻して、エジプト第25王朝を築くと、この地は首都に選ばれました。王国は70年の間に6代の王が支配し、ヌビア独自の小さなピラミッドが約82基、神殿、王族の墓などが残っています。

。しかし、第25王朝が滅んだ後、紀元前4世紀になるとクシュ王国の中心はナイル川の右岸にあるメロエへと移動。その後、イスラム教徒の聖人の墓が築かれたことから、今でも聖地として崇められています。

ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群
画像素材:shutterstock

ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、ピラミッドや宮殿、神殿、埋葬室などが残り、美しいレリーフは当時の社会や宗教などがわかるという点。

登録基準(ii)
ナパタ地方では、エジプトのヒエログリフや主神であったアモン神などが崇拝されていて、この地の建築物などにはその関連性が見られるということ。

登録基準(iii)
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群は、ナイル川流域で繁栄し、エジプトやその他のアフリカの文化と繋がりのあったナパタ文化(紀元前900〜270年)を証明するものであるという点。

登録基準(iv)
ゲベル・バルカルの神殿、エル=クッルやヌリのピラミッドは、長い期間に渡って普及した葬送建築とナパタ独自の芸術であり、この埋葬の伝統は6世紀まで続いたということ。

登録基準(vi)
ゲベル・バルカルは、古代以降、伝統的宗教や民間の伝承と強く結びつき、麓にはアモン神殿が築かれたように、現在でも地元の人々から聖地とされているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ナパタ地方の遺跡群は、かつてのクシュ王国のナパタ文化の中心地であり、エジプトの文字や宗教などの文化と強く結びついていましたが、小型のピラミッドなどナパタ独自の芸術が見られ、今でもゲベル・バルカルは聖地として崇められているという点で評価されています。

実はナパタとメロエのピラミッドは小型であるものの、合計で220基もあり、エジプト国内ではピラミッドは約120基しか発見されていないので、ピラミッドの数だけでいうとエジプトには勝っているのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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