登録区分 | 文化遺産 危機遺産2023年〜 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2023年 |
ウクライナ南部にあるオデーサは、国内でも最大の港湾・工業都市であるにもかかわらず、リゾート地としても有名で、多くの作家が訪れる文化都市でもあります。歴史地区は新古典様式の優雅な町並みが今でも多く残り、世界遺産に登録。
ここではオデーサ(オデッサ)歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オデーサについて詳しくなること間違いなし!
オデーサ(オデッサ)歴史地区とは?ポチョムキンの階段も含めて解説
黒海に面したオデーサ州の州都。もともとはタタール人による集落があった場所に、15世紀になるとオスマン帝国によってハジベイと呼ばれる集落が建造。都市となるのは1789年にロシア帝国がこの地をロシア領として編入してから。1794年に皇帝エカチェリーナ2世によって港の建設が開始され、その後、街の名は「オデッサ」と改称されます。
1803年にフランス人貴族のアルマン・エマニュエル・リシュリューがオデーサの長官となると、湾港施設を整備し、移民が多く集まった自由港となり、19世紀後半にはロシア帝国の4番目の地位になるほどに発展。ソビエト連邦時代になると町は工業都市としての側面が強くなり、ウクライナの独立後は、再び自由港となり発展しました。
ここは1世紀にかけて、多民族による多文化都市として発展し、現在の町並みはリシュリューによって、新古典主義様式の建造物が多く作られたことが起源。もともとは簡素だった町並みは、並木道や街灯などが配される優雅な都市へと変貌していきました。
特に1887年に建造された「オデッサ・オペラ・バレエ劇場」はウクライナで最も古い歌劇場で町のシンボル的存在です。「ポチョムキンの階段」は歴地地区と黒海を結ぶように、1837〜1842年にかけて建造された階段。ここは最上階の階段の幅は12.5m、最下段の階段の幅は21.7mとなっていますが、下から階段を見上げると階段が実際よりも長いように見え、上から階段を見下げると実際よりも短いように見えるというもの。
危機遺産(危機にさらされている遺産)
2022年2月のロシアによる侵攻以降、オデーサは度重なる攻撃を受け、歴史地区も危機にさらされるという状況に。世界遺産委員会では世界遺産条約のガイドラインに沿って緊急登録の手順を開始し、2022年の夏にはイタリアとギリシャの支援を受けて専門家たちによって登録の準備が行われました。
2022年の10月にはゼレンスキー大統領はユネスコへ推薦書を提出し、評価機関によって審査が行われ、2023年の1月に開催された第18回臨時委員会で異例の緊急登録となりました。それと同時に危機遺産として登録。臨時委員会の登録は1981年の「エルサレムの旧市街とその城壁群」の登録以来でもあります。
オデーサ(オデッサ)歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
オデーサが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
文化の相互交流を示し、これらは文化・文明が接触したことを証明するものだったり、交易路であったりするもの。
登録基準(iv)
建築や技術、科学の発展段階を示し、人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本であるということ。
※ユネスコのHPではこのあたりの記載が公開されていないため、現状では不明。ここではユネスコによる登録基準を記載しています。
世界遺産マニアの結論と感想
オデーサは、18世紀に建造された比較的新しい港湾都市ではありますが、多くの移民たちによってさまざまな文化が形成された都市で、19世紀初頭から新古典主義様式の町並みが広がっています。しかし、ロシアによる侵攻によって現在は危機的状態のため、緊急登録となると同時に危機遺産となりました。今後はどうやって保護していくか、これは世界遺産委員会だけでなく、人類にとっても課題でもありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。