ウクライナの世界遺産の数はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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黒海の北側に位置する広大な国家。ヨーロッパにおける穀倉地帯ともなっていて、東西の国家に影響を受け、さまざまな文化が交差する地でもありました。そんなウクライナの世界遺産はいくつあるでしょうか?

ここでは、ウクライナの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。

目次

キーウ(キエフ)の聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院

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首都キーウ(キエフ)にある聖ソフィア聖堂は、キエフ大公国(キエフ・ルーシ、882年頃〜1240年)の時代に築かれたもの。聖堂はビザンツ様式とロシアの伝統様式が融合した造りになっていて、屋根には黄金のドームを含めた13のドームがあります。

キエフ・ペチェールシク大修道院は、キーウの中心部から少し離れた位置にある修道院。ここは11世紀建造ではありますが、13世紀にモンゴル軍によって損壊してしまったため、現在の建造物はウクライナ・バロックで再建されたもの。

※こちらでは、現在のウクライナの首都は「キーウ」とし、過去のキーウや建築物などの名称を示す場合は「キエフ」を使用することもあります。

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リヴィウ歴史地区

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リヴィヴはウクライナ西部に位置しており、ポーランドの国境近くにある都市。特に旧市街は、5世紀ころから存在が確認されているほどに古いエリアでもあります。

市内中心部は、14世紀からルネッサンスとバロック様式の修道院や邸宅などが造られ、東欧独自の町並みが今も残っています。市内南西部にある聖ユーラ大聖堂は、バロック様式で造られた美しい建築物。

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ウクライナの世界遺産「リヴィウ歴史地区」とは?世界遺産マニアが解説 リヴィウは、ポーランドの国境から約70kmにある町。中世後期に設立されたリヴィウは、政治、宗教、商業の中心地として数世紀にわたって繁栄しました。今でもバロック様式の美しい建築物が多く残り、保存状態が良いことから世界遺産に登録されました。 ここでは、リヴィウ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、リヴィウについて詳しくなること間違なし!

シュトルーヴェの測地弧(ほかヨーロッパ9ヶ国と共同)

画像素材:Volodymyr D-k(Wikimedia Commons)

デンマーク生まれの天文学者フリードリッヒ・フォン・シュトルーベは、エストニア(当時はロシア領)のタルトゥで天文学を学びました。1816年から1855年にかけて三角測量を使用し、彼が研究をしていたタルトゥ天文台を含む、ヨーロッパ各地に測地点を置いて、地球の大きさと形について調査。

測地点は、北はハンメルフェスト(ノルウェー)から南はスタラ・ネクラシウカ(ウクライナ)まで2820km以上もの距離に265箇所も配置されました。ウクライナには4箇所残っています。

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カルパティア山脈とヨーロッパ各地の古代及び原生ブナ林

画像素材:Yupanka(Wikimedia Commons)

ヨーロッパブナは、北はスウェーデン南部から南は地中海岸、西はポルトガル、東はトルコまで広がっていて、氷河期後期には、ヨーロッパの約40%はヨーロッパブナ(ファグス・シルヴァティカ)の林が広がっていました。登録エリア各地にはブナの原生林が広がっていて、ヨーロッパブナの原生林としては世界最大の規模を誇ります。

ウクライナとしての登録範囲は、国内で最も西に位置するザカルパッチャ州の9つの森林地帯が登録されています。

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ブコヴィナ・ダルマチア府主教の邸宅

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現在のウクライナ南西部とルーマニア北東部にまたがるブコヴィナ地方。中心都市は現在のウクライナ領にあるチェルニウツィーで、18世紀後半にハプスブルク帝国に領有されると、現在のルーマニア北部のラダウツィにあった府主教の所在地がここに移行され、後にブコヴィナ主教区とダルマチア主教区(現在のクロアチア南部)が併合されました。そのため、このようや名前になります。

ここは当時のオーストリア支配下における東方正教会の文化の発展を示す一方、ウクライナ独自の文化の影響も見られます。

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ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(チョーラ)

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クリミア半島の中心都市セヴァストポリ近郊にあるケルソネソス・タウリケの遺跡。「ケルソネソス・タウリケ」とは「クリミア半島」の古称で、ここはギリシア人の植民都市として紀元前5世紀に設立。やがて黒海沿岸における重要な交易都市となり、2000年に渡ってクリミア半島の商業の前線基地として役割を果たしてきました。

現在は都市遺跡となっていて、周囲にはチョーラと呼ばれる小区画に分けられた農業領域が存在し、これらはブドウ園として利用されていたもの。

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ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群(ポーランドと共同)

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ポーランドのマウォポルスカ県・ポトカルパチェ県、ウクライナのリヴィウ州・イヴァーノ=フランキーウシク州・ザカルパッチャ州に点在する16の伝統的な木造教会が世界遺産に登録されています。

これらは16〜19世紀に東方正教会と東方典礼カトリック教会の教徒によって水平丸太組みで建造されたもので、木造教会は4つの民族グループで分かれていて、それぞれが異なっています。

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オデーサ(オデッサ)歴史地区

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黒海に面したオデーサ(オデッサ)州の州都。1803年にフランス人貴族のアルマン・エマニュエル・リシュリューがオデーサの長官となると、彼は湾港施設を整備し、移民が多く集まった自由港となりました。19世紀後半にはロシア帝国の4番目の地位になるほどに発展。

ここは国内でも最大の港湾・工業都市であるにもかかわらず、リゾート地としても有名で、多くの作家が訪れる文化都市でもあります。歴史地区は新古典様式の優雅な町並みが今でも多く残っていますが、2022年のロシアのウクライナ侵攻以降は、崩壊の危機にさらされているというのが現状。

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世界遺産マニアの結論と感想

ウクライナだけで登録されているのは5件ではありますが、共同で登録されているものを含めると、文化遺産が6件、自然遺産が1件と合計で7件。しかし、2022年のロシアのウクライナ侵攻以降は、各地の遺産が危機にさらされているという状況も続いているということもあり、ユネスコから一部の遺産は危機遺産に勧告されています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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