イスラエルの世界遺産の数はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

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現在のイスラエル国は第二次世界大戦後に誕生し、ここはユダヤ人のルーツであることから彼らの歴史を示すものが多く登録されています。一方、先史時代やイスラム時代の遺構も登録されているのも特徴。イスラエルの世界遺産はいくつあるでしょうか?

ここでは、イスラエルの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。

※こちらの記事ではパレスチナ(ヨルダン川西岸地域)を除いて紹介しています。パレスチナ国としての世界遺産は別記事で解説しているので、そちらでご確認ください。あと、エルサレムはヨルダンによる申請のため、この記事には含めていません。

目次

マサダ

マサダ/イスラエルの世界遺産
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イスラエル東部の死海に面した崖の上に立つ宮殿兼要塞。ここは麓から丘の上までは道は一本だけという天然の要塞でした。もともとは、紀元前2世紀にヘロデ朝のヘロデ大王が、ローマ様式の豪華な宮殿を建設したことに始まり、この地がローマ帝国の属州になった後、紀元1世紀のユダヤ戦争の際は難攻不落の要塞として、ユダヤ側からすれば「最後の砦」となったのです。

現在でも遺構などが多く残っており、ローマ時代初期の建築様式が現在でも見られます。

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アッコ旧市街

アッコ旧市街/イスラエルの世界遺産
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地中海に面した港湾都市であるアッコは、紀元前15〜8世紀に地中海交易で繁栄したフェニキア人が支配していた時代からの港町。ここは12〜13世紀の十字軍の時代にはキリスト教の勢力とイスラム教徒の勢力が激しく争い、一時期はエルサレム王国の首都になるほどでしたが、1291年にアッコは陥落。

現在の旧市街はジャッザール・モスクなど、オスマン帝国時代に再建されたものがほとんどですが、地下には十字軍時代の聖ヨハネ騎士団の建造物の遺構が残っています。

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テルアビブの白い都市-近代化運動

テルアビブの白い都市-近代化運動/イスラエルの世界遺産
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イスラエル中西部にある大都市テルアビブ。ここは1909年までは砂丘だった場所ですが、南にある湾口都市ヤッファに世界各地から多くのユダヤ人移民があふれると北の方へと街が拡大し、移民たちのために新しい住宅が建造されていくようになりました。

これらはスコットランドの建築家パトリック・ゲデスによる都市計画で、ヨーロッパからモダニズム建築家が移住したことにより、白を基調としたモダニズム建築が築かれ、現在も並んでいます。

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聖書ゆかりの遺丘(テル)群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ

聖書ゆかりの遺丘(テル)群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ/イスラエルの世界遺産
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「テル」とは遺丘を指していて、都市や集落が同じ場所で建設と崩壊を繰り返して形成されたもので、トルコ東部からイスラエルまで地中海東部には200ものテルが点在します。そのなかでも、メギド、ハツォル、べエル・シェバが世界遺産に登録。

ここは何千年にも渡る地中海東岸の技術を示す水利施設の跡が見られ、旧約聖書でも言及されているという点でも価値が高いもの。

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ネゲヴ砂漠の香の道と都市群

ネゲヴ砂漠の香の道と都市群/イスラエルの世界遺産
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ネゲブ砂漠は、イスラエル南部に広がる砂漠。ここにはかつてアラビア半島南部で作られる香料(乳香や没薬)を地中海まで運ぶという約2000kmに至る広大なネットワークが存在していました。その交易路は紀元前3世紀から2世紀まで、砂漠の遊牧民であるナバテア人たちによって利用されたもの。

世界遺産としては、ナバテア人が築いたハルザ、マムシト、シヴダ、アヴダトといった4つの都市が登録。4つの城塞、2つの隊商宿、交易路の一部などが構成遺産として登録されています。

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ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群

ハイファと西ガリラヤのバハーイー教聖地群/イスラエルの世界遺産
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イスラエル北部の大都市ハイファと近隣の町アッコー、そして、西ガラリヤ地方には、19世紀にイランで発展したバーブ教から、さらに発展したバハーイー教の聖地が点在。現在でも多くの信者がこの地を訪れています。

登録されているのは26もの遺産で、バハーイー教の創始者バハオラの霊廟や、バーブ教の開祖・バーブの霊廟、他にも住宅や庭園、近代建築などで構成されています。

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人類の進化を示すカルメル山の遺跡群:ナハル・メアロット(ワディ・エル=ムガーラ)の洞窟群

人類の進化を示すカルメル山の遺跡群:ナハル・メアロット(ワディ・エル=ムガーラ)の洞窟群/イスラエルの世界遺産
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カルメル山とはイスラエル北部に位置し、南北39kmにも広がる丘陵地帯のこと。かつてこの地はアフリカからユーラシア大陸の玄関口でもあり、丘の西側には旧石器時代前期から現代まで50万年に渡って人類の進化を示す遺跡が点在。

ここにはネアンデルタール人などが暮らしていた旧石器〜中石器時代の洞窟が並び、これらは狩猟採集生活から農業や牧畜への移行期を示すもの。

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ユダヤ低地にあるマレシャとベト・グヴリンの洞窟群 : 洞窟の大地の小宇宙

ユダヤ低地にあるマレシャとベト・グヴリンの洞窟群 : 洞窟の大地の小宇宙/イスラエルの世界遺産
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イスラエルの南部地区、ユダヤ低地にあるベト・グヴリン=マレシャ国立公園。ここは東のメソポタミアから西のエジプトを結ぶ交易ルートに位置し、紀元前8世紀に南部のマレシャという都市が存在していたと考えられています。

ここにはかつてマレシャとベト・グヴリンの2つの都市が存在していて、3500もの石灰岩層を築かれた地下室が点在。地下室は産業や宗教にまつわる施設として利用され、紀元前8世紀ころから十字軍の時代まで2000年以上渡って文明が発展したことを証明するもの。

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ベート・シェアリムのネクロポリス-ユダヤ人再興の中心地

ベート・シェアリムのネクロポリス-ユダヤ人再興の中心地/イスラエルの世界遺産
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イスラエル北西部の大都市ハイファから南東へ約20km。この地は石灰岩の斜面が広がっていて、2世紀から築かれたカタコンベ(地下墓所)が点在する場所。ユダヤ人は132年にバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)でローマの支配に反乱を起こすも破れ、エルサレムから追放されてしまいます。そのため、それ以降はベート・シェアリムがユダヤ教徒の主要な墓地となりました。

カタコンベにはギリシャ語やアラム語、ヘブライ語などで書かれた碑文や絵画などが残っていて、初期ユダヤ教の信仰の様子を現在まで残すもの。

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世界遺産マニアの結論と感想

エルサレムやパレスチナを含めない「イスラエルの世界遺産」としては、9件登録されています。どれも文化遺産となっていて、ユダヤ人の歴史に関連するものがある一方、ここは多くの民族が暮らした地であることから、イスラム教やバハイ教など、意外にもさまざまな宗教にまつわる遺産もあるのも特徴です。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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