広島県の世界文化遺産「厳島神社」とは?平清盛や干潮・満潮を含めて世界遺産マニアが簡単に解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4), (6)
登録年1996年

広島県にある厳島神社といえば、海に浮かぶ大鳥居で有名ですが、世界文化遺産に登録されていることでも知られますね。ところで、厳島神社はなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは、今回は厳島神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、厳島神社について詳しくなること間違いなし!

目次

世界遺産・厳島神社とは?その歴史を簡単に解説

厳島神社
画像素材:shutterstock

瀬戸内海に浮かぶ厳島(宮島)にある弥山は、古くから聖域として崇められてきました。6世紀には社殿が建造されたと伝わっていますが、平清盛(1118〜1181年)が1168年に寝殿造の様式を取り入れた社殿を建てると、ここは平家の氏神になりました。しかし、当時の社殿は火事で焼失したため、現在の神社は1240年以降に建造されたもの。世界遺産として登録されているのは、厳島神社の社殿以外にも周囲の建造物や弥山の原始林なども含みます。

厳島神社
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厳島神社は、弥山の麓に築かれ、海上に突き出す赤塗りの社殿が広がり、他の神社には見られない独特の景観を持ちます。最初は弥山そのものが崇拝されており、対岸から拝むといったものだったのですが、次第に島に社殿が作られ、弥山の風景に溶け込んでいきました。そして、元の社殿は簡素なものでしたが、現在のような壮麗な姿に発展させたというのも平清盛の偉業でもあったのです。

ここは、自然の中で作られた神道の施設でもあり、さらに周囲には大陸から渡来してきた仏教建築も作られ、日本独特の宗教観も見られるのが宮島の特徴。

厳島神社の社殿を作った平清盛とはどんな人物?

平清盛像/宮島
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厳島神社は、武士としては初めて太政大臣に任じられた人物で、平安時代にして日本初の武家政権を築いた平氏の棟梁。彼のルーツは京都にありますが、現在の広島県西部を示す「安芸国(あきのくに)」の安芸守に1146年に任じられると、瀬戸内海の制海権を底に入れることで、西国へと拡大し、やがて日宋貿易へと繋がる莫大な富を築くことになりました。それもあり、古くから海に関する神をまつっていた宮島を彼は信仰し、厳島神社の整備を進めたという事情があるのです。

それもあり、厳島神社を創建したのは彼ではないものの、現代の社殿の基礎を築き、ここは平家の氏神となったのです。彼の側室であった「厳島内侍(いつくしまのないじ)」は厳島神社の巫女だった人物であり、この地が清盛と密接に繋がっていたことがよく分かりますね。

厳島神社は干潮と満潮でガラッと変わる?

大鳥居
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厳島神社というと、海上の社殿であり、海の上に赤い社殿が広がるという景観のイメージがありますが、実は潮汐(潮の満ち引き)によって、海水がまったくないという時間帯があるのです。よって、海の高さが100cm以下の時は干潮で大鳥居まで歩いていけるくらい潮が引き、神社が浮かんで見えるのは海の高さが250cm以上の満潮の時だけ。

基本的に干潮と満潮は、それぞれ午前と午後、1日2回繰り返します。しかし、そのタイミングは毎日変わるので、宮島の観光協会の「年間潮汐・潮見表」をご覧ください。

厳島神社は何の神様?

厳島神社・本社
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祭神は、市杵嶋姫(いちきしまひめ)、田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)の宗像三女神(むなかたさんじょしん)を祀るもの。宗像とは、宗像大社(福岡県宗像市)を意味していて、日本から大朝鮮半島への海上交通を祈願する神でした。もともとは九州北部の土着神であった三神が4世紀以降、国家神となり、祀られるようになったもの。それもあり、宗像三女神は海上の安全を守る神であり、瀬戸内海における重要ルートであったこの地から古くから祀られていたのです。

厳島神社の読み方は?

厳島神社
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厳島は「いつくしま」と呼びます。これは宗像三女神の一人、市杵嶋姫(いちきしまひめ)の「いちきしま」が由来とされていて、「斎く(心身の汚れを除く、身を清めて神に仕える)島」という意味。ちなみに、現在は島そのものは「宮島(安芸の宮島)」と呼ばれることが多いですが、これは江戸時代以降に呼ばれるようになり、「ミヤ(宮)+ シマ(島)」という意味から由来するもの。

厳島神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

厳島神社・本社
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厳島神社が評価されたのは以下の点。

登録基準(i)
厳島神社は貴族の居住空間を神社建築に応用したもので、さらに自然と人工の建築物を組合わせた傑作であるという点。

登録基準(ii)
自然を崇拝が見られる厳島神社の建築様式は、日本人の宗教観を示し、日本の景観美を理解できるものであるということ。

登録基準(iv)
厳島神社は、12世紀後半〜13世紀初頭の建築様式をそのまま保存しており、周囲の風景を組み合わせた神社建築の優れた例であるという点。

登録基準(vi)
日本人の宗教観は、さまざまな神を崇拝するというもので、神道以外にも仏教施設などが存在する厳島はこれを代表するものであるということ。

厳島神社・本社
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この4つ。つまり、

「弥山を中心とした自然崇拝から生まれた厳島神社は、神道や仏教を組み合わせた日本人の宗教観を示し、社殿では平清盛によって寝殿造りが導入され、その後の神社建築に影響を多く与えている」

ということですね。実際に登録されているのは、厳島神社以外にも周囲の建造物や弥山の原始林などで構成されています。

それでは、ひとつひとつ解説していきましょう。

厳島神社の構成資産をご紹介

1、厳島神社・本社

厳島神社・本社
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厳島神社は、大野瀬戸に面した有浦という湾の奥に建造された神社。祭神は、市杵嶋姫(いちきしまひめ)、田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)の宗像三女神を祀るもの。本殿、幣殿、拝殿、祓殿、高舞台、平舞台などで構成され、これらは大鳥居と一直線の軸上に並ぶように置かれています。

2、客神社(まろうどじんじゃ)

客神社
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本社に付属する摂社にあたる神社。客神社は、本殿で祀られている神の客人をもてなすというもの。本社の北東に位置していて、本殿・幣殿・拝殿・祓殿と本社と同じ構造になっています。

3、大鳥居

大鳥居
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海上にある大鳥居は厳島のシンボル。創建時から鳥居があったとされていますが、高波や台風によって何度も倒壊し、現在のものは1875年に再建されたもので、高さは16.6m。これも何度か補強され、柱の下には松杭が打たれ、コンクリートでも加工されています。

4、豊国神社(千畳閣)

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1587年に豊臣秀吉が毛利家の家臣・安国寺恵瓊(1539〜1600年)に命じて建立した大経堂。しかし、工事は中断し、細部は現在も完成していません。入母屋造の屋根で、畳が857枚も敷けるほどの広さがあるのもの、実際は板張りとなっています。よって、名前だけは「千畳閣」。敷地内にある五重塔は1407年に造られたものの、1533年に改修されました。

5、弥山原始林

弥山原始林
画像素材:画像AC

厳島神社の裏側にある標高535mの山。古くから神域として崇められていて、1957年には特別保護区に登録されました。頂上付近の大聖院霊火堂には弘法大師(空海)が修行した時に焚かれた護摩の火が1200年以上も燃え続けていると伝えられています。これは「消えずの零火(れいか)」と呼ばれるもの。

世界遺産マニアの結論と感想

厳島神社は、平安時代末期に建造され、時代が貴族から武士へと変わるという時に生まれた平清盛によって建造されただけあって、革新的な建築物になったという点で評価。そして、古くから聖域だった弥山と海を組み合わせ、日本人独特の宗教観を織り交ぜた景観が見られるというのもポイント。

ちなみに、宮島土産といえば「しゃもじ」が有名。意外と歴史は浅く、18世紀後半、これといった産業がなかった宮島では、装飾を施したしゃもじをおみやげとして売り出したらヒットしたことが始まりだとか。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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