登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2) |
登録年 | 1994年 |
モスクワ郊外のコローメンスコエは、かつてツァーリ(皇帝)の離宮があった場所。ここに残る16世紀建造の主の昇天教会は、当時のロシアで流行していたギリシャ十字形の設計なのにもかかわらず、テント屋根というロシア固有の教会建築が見られるものです。
ここではコローメンスコエの主の昇天教会がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コローメンスコエの主の昇天教会について詳しくなること間違いなし!
コローメンスコエの主の昇天教会とは?
首都モスクワの南部、モスクワ河岸沿いにあるコローメンスコエは、歴代モスクワ大公によって宮殿が建造され、17世紀のロマノフ王朝の時代になるとツァーリ(皇帝)の離宮が作られました。
16世紀に建造された主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)は、1532年に当時のツァーリであったヴァシリー3世が息子であるイワン雷帝の誕生を祝って建設した教会。ここはギリシャ十字形の石造りの白い聖堂ではありますが、当時のロシアで多かった玉ねぎ型の丸い屋根ではなく、八角形のテント型の屋根となっています。聖堂は1本柱の構造で、ビザンツ帝国やロシア伝統の建築様式を取り入れ、17世紀にはロシア全土に広まっていきました。この様式は、ロシア固有の建築様式の復活を示すもの。
離宮は18世紀に解体され、コローメンスコエ一帯は20世紀初頭に自然保護公園として整備されて、16〜17世紀の木造建造物が点在する野外博物館となっています。
コローメンスコエの主の昇天教会はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
コローメンスコエの主の昇天教会が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
コローメンスコエの主の昇天教会は、ロシア正教会の教会のデザインにおいて革新的な進歩を示していて、東ヨーロッパの広い地域の教会建築の発展に影響を与えたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
コローメンスコエはモスクワ大公の宮殿があった地で、主の昇天教会はそれま流行していた玉ねぎ型の屋根ではなく、テント型のロシア独自の建築様式であり、このタイプの建築物が東ヨーロッパ一帯に広まったという点で評価されています。
ちなみに、現在のコローメンスコエの離宮は解体されて存在していませんが、離宮は木造でなんと釘を使用していないのに、250室も持つ広大な宮殿だったことから「世界の8番目の不思議」とも呼ばれたほど。しかし、ロマノフ王朝になると、モスクワから新都サンクトペテルブルクに王宮が移転したため、次第にこの地は衰退し、解体させられてしまいました。現在も残っていたら確実に世界遺産になっていましたね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。