登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (5) |
登録年 | 1997年 |
中国の南部、ミャンマーの国境の近くにある麗江は、ナシ族(納西族)によって築かれた古都で、城壁を持たない石城としてユニークな景観を持ちます。そして、異民族の文化を取り入れ、迷路のような街路と水路が入り組むという独特の町並みが今でも見られるという点で評価。
ここでは、麗江古城(麗江の旧市街)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、麗江について詳しくなること間違いなし!
麗江古城(麗江の旧市街)とは?
中国の雲南省・南西部に位置する麗江は、標高2400mの麗江平野に位置する小さな町。ここはチベット・ビルマ語族に族するナシ族(納西族)によって12世紀に築かれ、万年雪のある標高5596mの玉龍雪山から流れ出る水を利用して町中に水路をめぐらし、インフラにして発展してきました。
その後、現代まで800年間もナシ族は漢民族やチベット族と茶葉などの交易で栄え、麗紅は経済と文化の中心地となりました。世界遺産に登録されているのは、麗江の古城(旧市街)と周囲の村、白沙と淑河の3つ。
もともと麗江の古城は「大研鎮(だいけんちん)」と呼ばれ、瓦屋根の伝統的な木造建築が隙間なく埋め尽くされていました。民家の配列にはさまざまスタイルがあり、中庭を囲むように3つの建物と装飾された壁を配した「三坊一照壁」、中庭(天井)を囲むように4つの建物を配置して隅に小さな庭を加えるという「四合五天井」など、独特の建築様式が見られます。
そして、麗江では茶葉などの交易をしていたナシ族が漢民族やチベット族と交流することによって、独特の文化が生まれました。他にも象形文字の一つである東巴(トンパ)文字、絵画、音楽など、ナシ族独自の文化が今にも残るというのが特徴。
しかし、現在は観光客が多く集まり、旧市街は他からやってきた住民が住み始めると、ナシ族が郊外へ移転したり、建物の修復ができずに放棄されたりと、伝統家屋の維持が難しいという点が問題になっています。
麗江古城(麗江の旧市街)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
麗江が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
12世紀以降、麗江古城は、漢民族とチベット族、少数民族などとの交易の中心地であり、人と文化が交差する場所でした。麗江古城では、建築技術と芸術、社会生活、習慣などと交易して独自の文化を生み出されたということ。
登録基準(iv)
旧市街に残る伝統的邸宅は、ナシ族、漢民族、チベットの人々の文化を組み合わせたものであるという点。
登録基準(v)
麗江古城は、玉龍雪山から流れ出る水を利用して、農地や防水システムを築き上げるなど、自然との調和を示す都市構造であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
麗江古城では、雲南という中国、東南アジア、チベットを結ぶ土地であるがゆえに、人々の交流によって生まれた独特の文化が、建築物や文字、絵画、音楽などに見られているという点で評価。そして、周囲は高山に囲まれていて、雪山から流れ出る水を運河や水路などで利用してインフラにしていたというのもポイント。
ちなみに、観光客が増えたために、外観だけ麗江古城の雰囲気を残したまま、カフェやディスコ、ライブハウスに改装したという物件もいくつかあり、テーマパーク感が出てしまっているのが問題となっています。しかし、そういうものこそ、若者に求められているのも事実なんですけどね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。