登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (5) |
登録年:2011年 | 2011年 |
ナイル川の中流域にあるメロエ。ここは紀元前4世紀にクシュ王国の王都となった場所で、エジプト風のピラミッドや神殿など、壮大な都市が造られました。4世紀にはアクスム王国に支配されてしまうものの、かつてアフリカ中部から地中海まで征服した広大な王国の跡が今でも残っています。
ここでは、メロエ島の考古遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、メロエについて詳しくなること間違いなし!
メロエ島の考古遺跡群とは?
メロエはスーダンの首都ハルツームから北東へ約250km。ここは、紀元前8世紀から紀元4世紀まで栄えたクシュ王国の王都であった場所で、紀元前4世紀に当時の首都であったナパタから遷都されました。よって、王族の埋葬地もこの地に移転。
メロエの遺跡は、ピラミッドなどがあるメロエの王都と、ムサウワラート・エス・スフラとナカという宗教都市の2つで構成されています。どれもクシュ王国時代の建築物を多く残している保存状態も素晴らしい遺跡。特にメロエの都市部分は、ナイル川の近くにあり、かつては樹木が多いエリアでした。メロエは鉄鉱石が多く採掘できたことから、製鉄技術が発展。
やがて、ここはアフリカの黒人による史上初の鉄器製造の中心都市となりました。そもそもナパタより移転した理由も鉱物資源や農産物に恵まていたというのも背景にあります。
そして、メロエを象徴する小型ピラミッドは数多く残っています。エジプト第25王朝(紀元前747年〜紀元前656年)は、クシュ人であるピアンキがエジプトを征服したことによって誕生した王朝。しかし、紀元前7世紀にアッシリアによりこの地に追いやられると、クシュはメロエに遷都することになるのですが、その後もエジプトの交流は続きました。そして、エジプトのヒエログリフをベースにしたメロエ文字も形成されています。
メロエ島の考古遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
メロエ島が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
メロエは、交易都市として栄えたということもあり、サハラ砂漠以南のアフリカの国々とオリエントの国々との文化交流が見られ、建築物にもその影響が見られるという点。
登録基準(iii)
このエリアは6世紀にキリスト教が普及するとそれ以降の建築物が見られないため、メロエ島の遺跡は保存状態の良く、当時の様子が分かるということ。
登録基準(iv)
メロエのピラミッドは、クシュ王国を代表する埋葬記念碑であり、その建築様式や技術は、エジプトやギリシャ、ローマとの交流が見られるという点。
登録基準(v)
ムサウワラート・エス・スフラとナカは、ナイル川から離れた砂漠にあり、そこに住んでいた人々は厳しい環境で暮らしていたということ。
世界遺産マニアの結論と感想
なんといってもエジプト以外で、ピラミッドがあるという数少ないエリアであり、ナイル川の交易都市として発展したメロエはエジプトとの交流が盛んであったということをよく示しています。そして、ここはかつて大いに繁栄したクシュ王国の存在を現在にまで伝える遺跡。
ギザのピラミッドのスケールを考えると、メロエのピラミッドは6~30mと少し小さな感じもします。が、その規模がすごい!破壊されたものもありますが、いくつも並ぶピラミッドはエジプトでは決して見られないピラミッドのデパートみたいな雰囲気があります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。