登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2) |
登録年 | 1983年 |
首都リスボンから北へ約120km。この地にあるバターリャ修道院は1385年にポルトガル軍がカスティーリャ軍に大勝したことを記念して国王ジョアン1世が建造。その後、2世紀に渡って建造が続けられた、ポルトガル・ゴシックとマヌエル様式が合わさった傑作で、大聖堂そのものが「ポルトガルの独立」のシンボルでもあります。
ここではバターリャ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バターリャ修道院について詳しくなること間違いなし!
バターリャ修道院とは?実は別名だった?
ポルトガル中西部にあるレイリア県。バターリャというのはポルトガル語で「戦い」という意味です。ここは1385年に現在のスペインの北部を支配していたカスティーリャ王国が攻め入ってきた「アルジュバロータの戦い」が行われた場所。この歴史的な勝利を記念して、当時の王・ジョアン1世が聖母マリアに感謝して1388年に修道院を造成しました。完成したのは150年後の16世紀。実は、正式名は「聖母マリア修道院」ではあるのですが、一般的にはバターリャ修道院と呼ばれ、世界遺産の登録名もバターリャ修道院となっています。
修道院はポルトガル・ゴシックとマヌエル様式(ポルトガルで流行した大航海時代をテーマにしたもの)が合わさった壮麗な建築物。特に修道院を代表する建造物「王の回廊」や「未完の礼拝堂」などは、2つの建築様式を融合したもの。「創設者の礼拝堂」には、ジョアン1世の墓があり、彼の息子で多くの航海者を支援したエンリケ航海王子の墓など、歴代の王族の墓が置かれています。ここは200年に渡ってポルトガルの独立を示すシンボル的存在でもありました。
バターリャ修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
バターリャ修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
バラーリャ修道院は、ポルトガルのゴシック様式の傑作の一つであるという点。
登録基準(ii)
バターリャ修道院は、2世紀にも渡るポルトガル王室の「工房」的存在で、ゴシック様式やルネサンス様式など、ポルトガルの独特の芸術作品が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
バターリャ(戦い)という地名だけに、戦争に勝利し、ポルトガルの独立を保ったということだけあって、ポルトガルの王族の霊廟でもあり、王室の工房といっても良いほどに美しい芸術作品が多く築かれていったという点で評価されています。
ちなみに、バターリャは戦争があったから「戦い」という意味をそのまま付けられたのですが、イギリスにも「バトル」という地名があり、こちらは現在の英国王室のルーツであるノルマン朝による「ヘイスティングスの戦い」が現在のバトルで行われたことからその名が付けられました。分かりやすい地名ですが、夜は近づきたくないですね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。