登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 2015年 |
イスラエル北部に位置するベート・シェアリムは、132年にバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)によって破れたユダヤ人により、エルサレム郊外に築かれた主要な埋葬地でした。ここはカタコンベ(地下墓地)になっていて、ギリシャ語やアラム語、ヘブライ語などで書かれた碑文や絵画などが残っていて、初期ユダヤ教の信仰の様子を現在まで残すもの。
ここではベート・シェアリムのネクロポリス-ユダヤ人再興の中心地がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベート・シェアリムのネクロポリスについて詳しくなること間違いなし!
ベート・シェアリムのネクロポリス-ユダヤ人再興の中心地とは?
イスラエル北西部の大都市ハイファから南東へ約20km。この地は、石灰岩の斜面が広がっていて、ここには2世紀からカタコンベ(地下墓所)が点在する場所。ユダヤ人は132年にバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)でローマの支配に反乱を起こすも破れ、エルサレムから追放されてしまいます。そのため、それ以降はベート・シェアリムがユダヤ教徒の主要な墓地となりました。
ここに残るカタコンベはギリシャ語やアラム語、ヘブライ語などで書かれた碑文やさまざまな様式の絵画などが残り、初期のユダヤ教の信仰の様子を現在まで残すもの。そして、この地は2世紀以降にミシュナー(格言集)を編集して完成させたイェフーダー・ハン=ナーシー(ラビ・ユダ)のゆかりの地として、ユダヤ人の再興の歴史を伝えています。
ベート・シェアリムのネクロポリス-ユダヤ人再興の中心地はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベート・シェアリムのネクロポリスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ベート・シェアリムのカタコンベは、多言語の碑文や古代ローマ美術の影響を示す図像が残り、ヨーロッパや西アジアなどのグレコローマン(古代ギリシャからローマへの転換期)の芸術や文化の交流を示すもの。この地に埋葬された人々の起源を示す碑文や多様な埋葬形式や芸術表現から、当時のユダヤ人の拡大と周囲から文化を取り込んでいたということを証明するという点。
登録基準(iii)
ベート・シェアリムのネクロポリスは、イェフーダー・ハン=ナーシーによる2世紀以降のユダヤ人の再興を示すもので、広大なカタコンベからは古典や東洋の影響を受け2〜4世紀に再興したユダヤ人の文化を示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ベート・シェアリムのネクロポリスからは多言語やさまざな地域の芸術表現が見られることから、ユダヤ人が古代オリエント各地で交流をしていたことを示し、2世紀以降のユダヤ人の文化の再興が見られるという点で評価されています。
ちなみに、ラビとはユダヤ教における宗教的指導者であるのですが、律法学者も「ラビ」と呼ばれることも。とはいえ、ラビという言葉は宗教的指導者としてのイメージがありますが、もともとは神社における神主やお寺の住職に近いもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。